早苗のおばちゃん
夢さんのブログに「早苗のおばさんの訃報」という題で、早苗のおばちゃんが去年なくなったことを書いていました。
私が麻雀をおぼえたのは、おそらく大学に入ってからだとおもいます。父が麻雀をやっており、家庭でもやっていたので、少しは知識があったかもしれません。雀荘でクラブの同輩や先輩のやっているのを後ろで見ながら、おぼえたのだろうとおもいます。その頃の大学生の遊びは麻雀が全盛でした。面子が集まれば、すぐに雀荘へ直行でした。
いつも行っていたのが、大学の門の前にあった『早苗』でした。『早苗』はご主人と息子とおばちゃんの3人家族で、息子がまだ中学生くらいだったとおもいます。旦那は朝から酒を飲んでいたりして、ろくに仕事もしていないようでした。雀荘の切り盛りから、家族の食事の世話など、すべておばちゃんがてきぱきと仕切っていました。ときには面子が足りないと、いっしょに雀卓を囲みました。
おばちゃんの麻雀は、格段にうまいというわけではないのですが、時には大勝したり、また負けることもあって、いわゆる接待麻雀ではなく、いっしょに楽しんで打ってくれました。
雀卓が満杯のときは、2階の居間まで使わしてくれました。もう家庭のありのままをすべて解放しているようでした。
そこが、おばちゃんの人気のあったところだとおもいます。何か母親のような暖かさと、友達のような気楽さを持ち合わせていました。おばちゃんには、ずいぶんと無理を言ったり、わがままをしましたが、すこしも嫌な顔を見たことがありませんでした。
我々が麻雀を打っていてお昼になると必ず、「メルシーのラーメン」か「尾張屋のランチ」を出前で取りました。とくに「尾張屋」の出前のあんちゃんは、出前にくると、我々の仲間だった鎌田がランチを食べる間、そのあんちゃんに麻雀を代わりにさせていました。
雀荘は、我々の大事なコミュニケーションの場でした。バクチですから、多少の金銭のやりとりもあるので、それぞれの性格がでてきます。また、同級だけではなく、先輩や後輩とも卓をかこみましたから、上下関係のコミュニケーションも取れました。私が2年のときは、大学がロックアウトされて授業がほとんどなく、時間をもてあそんでいた時期だったこともあったので、思う存分やっていました。
5,6年前でしたか、クラブのOB会の始まる前に『早苗』に集合しようと声をかけると、お昼ごろ三々五々、昔の仲間が集まってきました。おばちゃんは、昔の雀仲間をひとりひとりおぼえていてくれました。もう昔とちがって、雀卓が埋まるほど、お客はきていないようでした。おばちゃんは昔と少しもかわらず、よろこんでくれました。
もう麻雀のブームは去って久しいのに、昔の客が尋ねてくれるのを待っているために、雀荘を開けているようでした。
その後、OB会の始まる前に、『早苗』によると、鍵がかかっていました。去年の11月に行われたOB会のときも、誰かいる気配がありませんでした。
どうしたんだろう?と気になっていました。
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