那古寺木造千手観音立像
住友財団の文化財維持・修復事業助成のサイトを覗いていると、これまでの助成対象として、2006年度文化財維持・修復事業助成対象のリストに、
木造千手観音立像修復事業 平安時代(館山市有形文化財) (宗)那古寺(なごじ) 千葉県館山市 助成金2,250(千円) として、写真が載っていました。
写真をクリックすると、大きな写真とともに、その仏像の解説が書かれていました。
写真を見ると、かなり破損はしていますが、あきらかに清水寺式千手観音立像です。
解説によると、本体は頭部から胸部中央あたりまでが当初部分とおもわれ、それ以外、各時代の修理が加えられている。としています。
さらに経年による朽損や、脇手の脱落・割損、持物の欠失等傷みがひどかった。としています。
どういう修理をしたのかの記述はありませんが、おそらく脇手の補修が主だったのではとおもいます。
というのは、館山市は昭和55年度から61年度にかけて、仏像の悉皆調査をしており、『館山市の仏像』として、報告書が出版されています。
それによると、頭上にあげた右手、はなれた左手および錫杖らしきもの、合掌手の手首先、右脇の天衣がありません。
この仏像は昭和38年12月17日に市指定文化財に指定されています。館山市のサイトには、調査報告の写真とほぼ同じ形で載っています。
住友財団の写真では、合掌手は補作したように見えます。そのとき、頭上手や天衣も付けたとおもわれます。
この仏像は長らく厨子の中に入っていたようで、おそらく厨子の中に脱落した脇手や天衣があったので、それを使って脇手をつけたのでしょうか。
それにしても、なんて中途半端な補修のしかたをしているのでしょう。頭上の脇手をなぜつながなかったのでしょうか。脇手はもともと後補のものなので、ありあわせのもので付けたのでしょうか。
頭上手は後補だとはいえ、清水寺式に改変しようとした改修時期があったのは事実ですし、当初から頭上手がつけられていた可能性があったかどうかの考慮もすべきではなかったのでしょうか。
この仏像は那古寺の本尊ですので、観音堂(本堂)の厨子にあるはずです。今どうなっているのか知りたいところです。
那古寺はその他に、重要文化財の銅造の千手観音立像がありますが、これは脇仏として安置されているようです。
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