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2011年7月10日 (日)

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 私は、中高一貫校だったので、クラブ活動も、中学高校とも同じ、陸上部に所属していました。別に、足が早かったわけでもなく、中学に入ったとき、先輩連中に、必ず運動部に入れ、と半ば強制的な指導があったからです。

ボール競技は得意ではないし、体がぶつかる競技もいやだったので、必然、体操部か陸上部しかありませんでした。

なんとか、高校2年まで、続けていくうちに、部長になってしまいました。この学校は、クラブ活動はほとんど生徒の自主性にまかせられていました。一応顧問の先生はいますが、練習や合宿にはほとんど顔をみせませんでした。

そんなこんなで、部長になると、まずやるのは、部費の予算折衝でした。今年度の予算要求を生徒会に提出し、まず査定がおります。そして、生徒会の役員との復活折衝を経て、予算が確定し、使えるようになるのです。

まるで、国家予算の決定方法と少しもかわりません。それをすべて生徒がとりしきるのです。

最初の予算提示は、私達の部の要求よりも下回った額でした。そこで、生徒会の役員との一対一の復活折衝です。

その時の状況は、新しく部に昇格するクラブがあり、当然、前年度より減額される雰囲気でした。それで、いろいろと理由を考えながら、折衝に臨みました。

相手の生徒会役員はY君で、一応予め考えてきた理由を述べて何とか金額を上積みできないかと訴えました。Y君はただその話を聞くだけでした。

どうもその場の雰囲気は、厳しそうなようすでした。というよりも、すでに我々はあきらかにY君にのまれていました。

それで、何とかならないかと、御願いする態度になってしまいました。

最後にY君は、“それで、いったいいくらほしいの”と最終回答をせまってきました。

私  :“何とか現状維持で去年の額になりませんか”

Y  :“じゃあ、それで決めましょう。”

私  :”-----”

しまった! ヤラレタ! というのが、そのときの感想でした。

 

 

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そのY君は、クラスが同じだったわけでもなく、親しくもしていませんでしたが、去年の同窓会で、講演をしていたのが、同窓会誌に載っていました。

彼は、東大で博士号をとって、ハーバードに移り、教授を勤め、その後東大に帰ってきた経歴を持っていました。

彼の講演の中で、ハーバードの教師はどこから給料をもらっているのかについて、書いてありました。契約期間があるのは当然としても、学部長からの通達書には、「雇用期間中、あなたの給与の源泉である外部資金が停止した場合、12ヶ月間は、大学はあなたに給与を支払います。」

つまり、自分で外部資金を調達できなければ、雇用期間中でも給与はナシですよ、ということのようです。

それで、外部資金獲得のために研究提案書を一生懸命書くのだそうです。

いはば、自分の給与をかせぐためには、そういうプレゼンテーション能力と、ネゴシエーションの能力が必要なのです。これは、日本の中学高校大学では、教えてくれません。自らが身につけて獲得する術のようです。

彼は立場が違っても、高校の時の、ネゴシエーション能力が役にたったのでしょうか。

Y君は、東大を定年で退職した後、今年4月、わが母校の校長に就任しました。

いまの日本の教育状況のさらに先を見据えてのことでしょうか。

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