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2011年7月 2日 (土)

ある縁

 記憶があまり確かではないのですが、昭和53年頃だったか、ある土曜日に例によって、茶房早稲田文庫で、後輩2人とグダグダしていると、マスターの日下さんから、ちょっと奧座敷に来てと、3人が呼ばれました。

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そこには、オーナーのオバサンと、中年の男性がなごやかに話をしていました。

と、紹介されると、その中年男性は上原昭一氏でした。

その当時、奈良国立博物館に勤務していたとおもいます。ちょうど、早稲田大学で、美術史学会があったので、その合間に、茶房に寄ったようでした。

上原氏は、私以外の2人が美術史学科の大学院生だと聞くと、何でも聞きたいことがあれば答えようと、言ってくれました。

私は、すでに大学院を卒業して、目標がなかった時で、ひたすら遠慮しましたが、後輩2人はここぞとばかり、それぞれの思いをぶつけていました。

どうして、上原昭一氏が冨安さんと知り合いなのか、その時はわかりませんでしたが、2人の話を聞いていると、オバサンが戦前に、長野で下宿屋をしていて、その時の下宿生が上原昭一氏だったようでした。

上原氏の経歴を調べてみると、旧制長野中学から、松本高校へ行き、東北大学を卒業しています。おそらく、長野中学の頃だったのでしょう。

しかし、オバサンは、その頃の姓は冨安ではなかったのに、上原氏はどうして茶房のことがわかったのでしょうか。

その疑問は、すぐにわかりました。その当時の1・2年前に、奈良国立博物館でバイトをしていたのが、あの故平木収氏だったのです。

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例によって人なつこい平木氏は、上原氏と話をなんとなくしながら、茶房のご主人冨安さんのことを、上原氏に話したのではないでしょうか。

それで、学会という機会に茶房に訪れたのだとおもいます。なつかしそうに、長野時代の話をオバサンとしていました。

上原昭一氏の話題は、私が大学院のころ、佐々木剛三先生からも、一度聞いたことがあります。それは、ハリー・パッカードが奈良国立博物館に銅造蔵王権現像を持ち込んで、上原氏に見てもらいたいと来たときでした。

上原氏はこの仏像が指定物件にも匹敵する秀作であると、看破しましたが、海外に流出するのを阻止するため、パッカード氏には、たいした仏像ではないと話したそうです。

しかし、パッカード氏は上原氏の表情を見抜き、ついにこれを購入し、最終的には、メトロポリタン美術館に収蔵されることになってしまったのです。

上原氏は地団駄ふんで悔しがった。ということだったそうです。

ハリー・パッカードのほうが、美術作品よりも人間の目利きがあったということでしょうか。

東北大学の雑誌『美術史学』31・32号を見てみると、2010年7月9日、上原昭一氏は逝去されたそうです。

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