増上寺三門公開
先日、増上寺の三門の公開に行ってきました。これは、3月に行う予定が、大震災のために延期され、やっとのことで半年おくれの公開です。
急な階段も、登りやすくするために、この公開のために手すりをつけたり、安全な設備が施されていました。
上にあがると、正面には釈迦如来三尊像、その両脇には十六羅漢像。そして、羅漢像の前には、増上寺歴代上人像のひとまわり小さい像がならんでいます。
釈迦三尊像は漆箔ですが、十六羅漢、祖師像は彩色像で、江戸時代の劣悪は彩色が剥落していて、かなり破損が進んでいました。
さて、この釈迦三尊像と十六羅漢像は、淺湫毅氏の調査報告(「増上寺三解脱門の釈迦三尊像および十六羅漢像についてー近世彫刻の諸相 1ー『学叢』30 平成20年5月19日)があり、それによると、両脇侍像の像内頭部前面(玉眼押さえ材)に“大仏師 宗印”等の墨書銘があり、下御門仏師の宗印一門の作と判明しました。
論文の結論は、製作年代は天正末年から慶長前半あたりで、長門の泰然寺に安置されていたが、元和10年(1624)に土佐徳悦が彩色をし直して、増上寺に移座したものとしています。
論文によると。長門の泰然寺は不明の寺院で、特定はされていないようです。
たしかに、いわゆる江戸の彫刻にしては、かなりできの良い仏像に見えました。一般的な江戸期の仏像のように、技法にのみ走る精気のなさはありません。それなりの仏師の作と見受けられました。
さて、もう一ヶ所、特別公開している徳川将軍家霊廟を見てきました。増上寺には御霊屋と称する将軍6人、5人の正室および5人の側室等の墓所があり、それぞれに本殿・拝殿が建てられていましたが、空襲によりほとんどが焼失してしまいました。
現在墓所は、1ヶ所にまとめられて、今回の公開となりました。
今は、宝塔が8基きれいにならんでいますが、往時の豪華絢爛さは偲ぶべきもありませんでした。
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