不空羂索観音合掌手の水晶珠
東大寺ミュージアムの開館時の目玉は、もちろん不空羂索観音像と日光・月光菩薩像でしょう。
法華堂の中で拝観するよりも、各段によく見ることができるからです。
そのミュージアムの宣伝文句に、あの不空羂索観音像の合掌手の間に水晶が挟んである。というのがありました。
以前から、そんな話は記憶の片隅にありましたが、何度も法華堂で不空羂索観音像を拝観しても、それに気がつくことはありませんでした。
おそらく、遠くてよく見えなかったのでしょう。まして、暗い堂内で、キラリと光れば別ですが、そんなこともなかったのでしょう。
それで、今回は、果たして、本当に水晶が挟んであるのだろうかということを、気をつけて見ることにしました。
正面に立って、合掌手を見てみると、わづかに両手の指を内側に向けていて、掌は合わさってはいませんでした。両手の間から、胸が見えましたので、水晶はなかったのは確かです。
ところが、ミュージアムショップで売っている絵葉書の表紙には、水晶が挟まっている写真がありました。
どういうことなのでしょうか。
不空羂索観音像について解説している文献をあさってみると、『奈良六大寺大観』10 東大寺2 1968.8.30 で、水野敬三郎氏の解説には、
「掌中に水晶珠をはさむ」としており、白黒写真にもはっきりとあることがわかります。
『日本美術全集』4 東大寺と平城京 1990.6.8 講談社 で浅井和春氏は「法華堂本尊不空羂索観音像の成立」という論文で、この不空羂索観音像は、この宝珠から“金光明最勝王経 如意宝珠品”によって造像された可能性を指摘しています。
さらに、鷲塚泰光氏は『東大寺のすべて』 2002.4.20 で、「この水晶は如意宝珠で、後の如意輪観音に通じ、密教像の早い例ではなかろうか。」
としています。
ところが、最新の論文ともいえる、『国宝の美』彫刻1 2009.8.23 で川瀬由照氏は、
「宝珠は後に嵌められた可能性もあり、・・・」とあり、もとから嵌っていたか疑問視しています。
たしかに、戦前の解説をいくつか見てみると、この合掌手の宝珠のことについて、ふれている論文が見あたりません。
正面から見れば大変目立つのに、なぜ注目されなかったのでしょうか。
もっとも、宝冠の盗難事件があったりしたために、宝冠のほうに注目が向くのはわかりますが、合掌手の水晶とおなじ珠が宝冠の上についているのです。それとの比較もしなかったのでしょうか。
なぜ、今現在、ミュージアムにある不空羂索観音像の合掌手に水晶珠がないのでしょうか。
そんなに簡単に取り外しがきくのでしょうか。
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