退院しました
先週土曜日(19日)無事に退院することができました。様々の読者の皆様には、ご心配とご迷惑をおかけして、誠に申し訳けありませんでした。
ブログのコメントにも書きましたが、旅行中に突然、救急車に乗車するという経験をしまして、新潟の病院に1週間ほど入院の後、東京の病院に転院して、治療が終わり、晴れて退院することができました。
病因は、総胆管結石ということで、いわゆる胆石でした。その石を取り除けば、もう治療が終わりという、あとから考えれば、至極単純な病気でしたが、突然の発症なので、多少とまどいましたが、これも運命の定めに従って、淡々と治療に専念してきました。
というわけで、入院前に新潟の市内を見て回った報告をまずしなければいけません。
29日朝新潟に到着して、最初に“みなとぴあ”にいきました。そこには、近代建築が4棟ほどあり、そのうちの旧第四銀行住吉町支店に、ステンドグラスが嵌っていました。建物は、昭和2年竣工の建物ですが、移築の際、かなりの改修が施されているようです。このステンドグラスも、補修がかなりされているようで、当初の硝子がどれほど残っているのかわかりません。
つぎに行ったのは、石油王の家である新津記念館です。ここは、窓のほとんどにステンドグラスが嵌っており、かなりの量がありましたが、内部には、カーテンがかかっており、そのデザインの全体像がわかりません。おまけに、非公開の窓もかなりあり、全体にどういうデザインの配置をしたのかがわかりません。おまけに内部は写真撮影禁止では、ステンドグラスの技法の詳細の検討もできませんでした。
とくに、2階の広間のステンドグラスは、花のデザインで、他とは違った東洋的な図柄ですが、色の使い方に洗練さがなく、あまりインパクトはありませんでした。
外から、窓硝子を見ると、透明硝子を入れて、それなりの補強をしてはいますが、その硝子の清掃がされていなくて、そのためか、内部から見ると、ステンドグラスの色鮮やかさが出ていないようでした。 ちょっとがっかりな建物でした。
その後、旧小澤家住宅、燕喜館、新潟県政記念館をまわって、電車で村上に到着。旅館の送迎バスで、海岸沿いの旅館へ。部屋から見る夕焼けにしばし感動していると、仲間が到着し、私を見るなり、おかしいと騒ぎだし、とうとう救急車に乗車する嵌めになりました。
病院は、田園地帯にあり、まわりは、低い山々に囲まれた、実に環境のいい場所でした。
病室から見る風景は、毎朝、山の表情が変わり、時には、朝霧が山裾にひろがったり、飽きの来ない風景を毎日楽しんで、ひとときの何も考えないという時間を持つことができました。
これが、いいことなのかどうかはわかりませんが、人生の一コマとしては、これもまた、ひとつの経験が加わったということでいいのかもしれません。
読者の皆様には、大変、ご心配とご迷惑をおかけしまして、再度感謝と陳謝をしたいとおもいます。
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退院おめでとうございます。
知らぬ土地での入院生活というのは想像もできないし、したくて経験できるものでもないし、貴重な体験をされたんですね。
今回の休養はきっと身体のリフレッシュに役立ったんではないですか?
投稿: 夢さん | 2011年11月22日 (火) 13時12分