厚木市古民家岸邸
本厚木駅から、バスで40分ほどの停留所で降りてから、数分歩くと、黒塀に囲まれた屋敷があります。入口は薬医門で、明治19年に建てられたそうです。
岸邸は、もともと養蚕農家だったらしく、主屋の間取りは伝統的な六間取りで、2階建の瓦葺きになっています。
主屋は明治24年の建築だそうですが、その後、増築や、改造をくりかえして、つい最近まで所有者が住んでいたとのことです。平成10年に岸氏から市に寄付され、翌年から公開しているのだそうです。
まず、普通の通用口は、土間になっています。その横に正式な玄関がありますが、木材は、銘木を各所に使っています。
2階の座敷の妻の縁側に、市松模様に配置した、赤色のガラスを嵌め、それ以外は、結霜ガラスを入れています。
外の景色は、赤色のガラスから眼にはいり、結霜ガラスで、アクセントをつけているようで、いわゆる普通の窓から見る風景とは異質な感覚にとらわれます。
南の縁側のガラス戸の下にあるはめ殺し窓の枠には四方に装飾をほどこし、結霜ガラスを入れています。
2階の増築部分の洋室にも、その窓は、赤色ガラスと結霜ガラスの市松模様を基本としたデザインに統一しています。
2畳もないような女中部屋の窓にも、同じように赤色ガラスを使っています。
1階増築部分の便所も、さらに凝った造りになっていました。窓のデザイン、ガラスの模様まで、ひとつひとつ吟味した材料を使っています。
使っているガラスを見てみると、創建当初のガラスはあまり残っていないように思われましたが、戦前の改修、増築で、使われたガラスでも、これだけ残っているのは、注目に値します。
補修した型ガラスも見かけない柄でしたし、結霜ガラスも多用していました。
それにもまして、赤色ガラスを様々なところで使うという感覚は、和風建築にどういう風にマッチするかを吟味した結果でしょうが、実に斬新な感覚です。
明治以降の伝統建築をつくる大工は、ただ、昔の様式を踏襲するということではなく、新しい感覚を導入していくという冒険をしていかないと、生き残れなかったのかもしれません。
そういう意味で、明治以降の大工の時代感覚の敏感さに敬意を表せざるをえません。
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