木村荘八展
復元工事が完成して再開なった、東京駅丸の内北口にある東京ステーションギャラリーに、先日行って参りました。3月から『木村荘八展』(5月19日まで)をやっているのを聞きつけて急遽足をはこんだのでした。小生はあまり近代絵画に興味があるわけではありませんでしたが、この展覧会にひとつ期待するものがありました。
その前に“木村荘八”という人物について、というよりも、彼の父親である“木村荘平”について、語らなければなりません。
木村荘平は、天保12年(1841)山城国伏見に生まれ、明治11年(1878)上京し、明治政府から官営屠殺場の払い下げをうけ、牛鍋チェーン店「いろは」を経営しました。その店は第一号店、第一いろはをはじめとして東京市内に20ヵ所におよび、東京畜売肉商組合を結成し、さらには、今でも町屋にある火葬場を請け負う東京博善社を設立、日本麦酒醸造会社(エビスビール)などの社長に就任していました。明治29年(1896)には東京市議会議員に当選。衆議院進出をねらいましたが、明治39年(1906)67才で死去しました。
木村荘平のチェーン店は、妾をそれぞれの店の店長に就任させて、拡大していったものでした。荘平の子供は男13人、女17人にのぼったそうです。
木村荘八は、京橋にあった第8いろはで、荘平の八男としてうまれ、中学卒業後は、店の帳場につとめるかたわら、洋画の勉強をし、岸田劉生と交流しながら、洋画家の道をこころざしていました。
今回の展覧会には、油絵とともに、永井荷風著『濹東奇譚』の挿絵が展示されていました。荘八は東京の風俗を題材に数多くの作品を残しています。また、文才にもすぐれ、東京の風俗考証に関する著作を多数のこしており、「木村荘八全集」も刊行されています。私が気になったのは、昭和24年に発行された『東京の風俗』の中にある「「いろは」の五色ガラスについて」という一文でした。
これは、荘八が生まれ育った、「いろは」第八支店の建物についてスケッチとともに建物の様子が書かれていました。
“この三階から本屋の総二階にかけて、その正面及び側面見つきの、ガラス戸といふガラス戸が、全部、五色の色ガラスを市松にあしらったものだったが(一階は五色ではなく、普通ガラスだった)。”
しかも、この建物は元綿屋だったが、明治19年に「第8いろは」になってからは、五色の装飾障子に改装したようだと、類推しています。また、樋口一葉が住んでいた丸山福山町には、二階ガラスに五色ガラスを点じていた家があった。とも書いています。
「「いろは」の五色ガラスについて」の中にある挿絵には、色がついていないので、実際五色のガラスとはどんなものなのかは、おそらく、金沢の尾山神社神門の窓ガラスのようだとは想像がつきますが、それよりも木村荘八自身が書いた絵があるかもしれないと思ったのが、この展覧会に行く動機でした。
すると、2枚の大きな油絵のうちひとつに、「牛肉店帳場」という絵がありました。まさしく、荘八が育った第八いろは店の玄関の様子を描いています。
階段の踊り場の右側の窓には、色ガラスが嵌まっている様に見えます。また、階段下の帳場にいる人物は荘八本人のようです。
それにしても、尾山神社の神門に嵌まっている色ガラスは、黄、赤、緑、青の4色です。荘八によると、第八いろはに嵌まっていた色ガラスは、
“飛び飛びに白の無地を交へて、クリムソン・レーキ、ウルトラマリン、ビリジャン及びガムボージの各色を配した。”
と、白色を加えていますが、白色のガラスとはおそらくは、スリガラスだったのだろうとおもいます。
それにしても、かなりど派手な建物だったろうとおもいますが、障子に色ガラスを嵌めても、夜になって、中に照明がはいらないかぎり、派手さはでないだろうをおもいます。まして、昼間には、色ガラスが入っていることすら気がつかないとおもいます。
そういうことから考えると、その当時のど派手と現代のど派手はちょっと違う感覚なのかなと思います。
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