不老仙館の模様入りケシガラス
まず、いわゆる“スリガラス”について説明しななければなりません。“スリガラス”とは、透明ガラスを加工して不透明にしたしたガラスです。ガラスの表面にキズをつけて光を乱反射させるため、白く見えます。
そのキズの付け方には、2種類の加工法があります。ひとつは、ガラスの表面に砂をつけてこすることによって表面を凸凹にする方法。これは、ガラスを磨く前行程でとめる方法です。
もう一つは、砂を吹き付けて、ガラスの表面を削って凸凹にする方法です。いわゆるサンドブラストという方法です。
ということで、これからは、ガラスを摺る方法のガラスを“スリガラス”、ガラスに砂を吹き付ける方法のガラスを“ケシガラス”呼ぶことにしようとおもいます。
それでは、模様がついたガラスはどう加工しているのでしょうか。ひとつの方法は、模様を切り抜いた型紙をガラスの表面に当てて、糊をひき、乾いたところで、砂を吹き付けるのです。これは、ある程度決まった柄で、同じものを加工するのに適しています。
もうひとつは、ガラスの表面に少し厚めの紙を貼って、模様を切り抜いて、サンドスラストをかける方法です。この方法は、1点ものの加工に適しています。
この加工の歴史については、また、まとめて詳しくお話することにして、登米市の指定文化財になっている“不老仙館”に嵌まっていた模様入りケシガラスをお見せすることにします。
この不老仙館の歴史について、カタログによると、元は狼河原村の畠山源兵衛が嘉永5年に建築したものを明治39年に現住地に移築したものです。その後、玄関を移し、大正11年頃、2階部分を増築して以後、屋根の葺き替え以外は大きな変更はなかったようです。
玄関を入ると、ごく一般的なお屋敷の作りです。ところが、奥の廊下に行ってみると、便所と風呂場に行く廊下の窓は、模様入りケシガラスが連続して嵌まっていました。
模様は蜀江文です。この模様は、以前にも、幾つかお見せしましたが、模様入りケシガラスとしては、ポピュラーな柄のようです。
ところがこの建物のなかで、1枚だけちょっと違う蜀江文を発見しました。
これは、あきらかに既存の模様のガラスから真似て後から加工したガラスのようです。しかも、型紙をつかった方法ではなく、ガラスに貼った紙を切り抜いて加工したガラスのようです。復原補修しようにも型紙がなかったための措置だろうとおもいます。
また、風呂場には、別の模様のケシガラスが嵌まっていました。
この模様の名前は、文様の本を調べても同じものがありません。とりあえず“大小花菱文”としておきます。
これらの模様入りケシガラスの嵌まっている建具は、おそらく、風呂場と便所が外にあったのが不便 だったため、廊下をつくってつなげたときに作られた建具だろうとおもいます。その時期は2階を増築した大正年間の頃だろうとおもいます。
現に、ガラスを見ると、細長い泡の入ったガラスが見受けられます。
これは、ラバース法(機械吹き円筒法)によって作られた板ガラスとおもわれます。ラバース法は、旭硝子が大正3年から昭和初期まで製造した方法です。
そんなこんなで、たまたま訪れた建物なのに、大収穫でした。このような、大正明治時代の建物は、まだまだ研究する材料がありますので、是非とも残してほしいものです。
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