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2013年12月 8日 (日)

宮城,山形の色ガラス

先日見て回った建物のうち、色ガラス、ステンドグラスをお見せいたします。

まずは、登米の興福寺から。興福寺は、登米の中心地からちょっとはなれた、小高い山の中腹にあります。色ガラスが嵌まっている建物は、六角堂 だと書物には書いてありますが、実際には、今使っている庫裏の一角の書院にありました。六角堂はそこから階段でつながった建物で、今改修中でした。この六角堂は明治17年に建てられ、書院のある建物は明治21年頃建てられたようです。

さて、先ずは正面の違い棚の後ろに色ガラスの嵌まった引き戸 がありました。

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そして、その左側にある書院の上部には、はめ殺し窓に色ガラスがありました。

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ガラス1枚の大きさは、10㎝程度で、写真であらかじめ想像していたより、ずいぶんと小さい印象でした。まず色ガラスから見てみると、泡の細かくはいったガラスが殆どのようでした。

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おそらく、この色ガラス、透明ガラスは、明治21年頃の手吹き円筒法による輸入ガラスだと思われます。その他の模様入りケシガラスについては、また、別途考察しようとおもいます。建具も、黒漆塗りで、面取りした所に朱漆を塗った手の込んだ作りになっています。

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次に、山形市内の霞城公園の中に移築した、済生館を見てみましょう。明治11年の建立の建物です。正面入り口のランマに色ガラスがあります。

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また、内庭入り口にも同様のパターンでありました。

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3階は星型のデザインですが、内側からは見られませんでした。

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山形県庁は大正5年の建物です。正面入り口のランマにステンドグラスがありました。

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正面階段の踊り場には3ヵ所に同じ模様のステンドグラスがあります。

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2階の執務室には、衝立にステンドグラスが嵌まっていました。

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隣の議事堂の玄関には抽象柄のステンドグラスがありました。

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旧山形師範学校本館は、透明ガラスしか入っていませんでしたが、その横にある今にも壊れそうな廃屋になってしまっている、山形北高校の講堂として使われていた建物の正面のランマは、色のついた型ガラスが嵌まっているようです。しかし、この建物こそ、是非とも壊さないで改修してほしいものです。

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天童市にある、明治12年創建の旧東村山郡役所は、1階と2階の入り口のランマに色ガラスがありました。

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ここは、いままでと違って、紫の色ガラスを使っています。しかもよくみると、泡が入っています。

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山形のこのような公共建物は、県令の三島通庸の好みが大きかったと、藤森照信氏は書いていますが、半円形のランマに色ガラスを入れる意匠は、文明開化の息吹を視覚的に表現する格好のデザインだったのでしょう。

興福寺のように、和風建築に色ガラスを使うという発想は、相当なインパクトがあったのだろうとおもいます。

普通の和室は、昼間は障子からの明かりしかないはずですが、色ガラスが畳の部屋に中にまで差し込む様子は、きっと驚きをもって受け止められたとおもいます。

 

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