常総建物探訪
およそ半年ぶりの書き込みです。
その間、読者の皆様には、色々とご心配をおかけいたしました。まあ、今の所普通に生きております。生来の怠け癖がでて、ずるずると、怠けておりました。
そんな訳で、少しは改心して、このブログを続けていこうとおもいますので、あまり期待せずに見守ってくださるようお願いいたします。
あまり重い話題ですと、どうしても、下準備に時間がかかったりして、更新が滞ってしまいますので、できるだけ軽い話題ということで、
昨日、この暑さの中、常総地方に出かけていきました。それは、ネットに、朝日新聞の山形版で、旧青山邸に嵌まっているガラスについての記事がありました。写真を見ると、以前私のブログに何回も載せた、「蜀江文」の模様入りケシガラスでした。これを、有名な、家具の専門家が、明治期に長崎で作られた高価なガラスだと評していました。記事では、こんな高価なガラスをわざわざ長崎からとりよせた青山家はすごい財力の持ち主だった。という趣旨のようでした。
この先生、どうもガラスのことはドシロウトのようで、「蜀江文」もわからなかったようです。朝日新聞にそのことを投書しましたが、ナシのつぶてです。
今回は、その「蜀江文」の用例を増やしたく出かけた次第です。
まずは、茨城県常総市にある水海道風土博物館 坂野家住宅 です。関東鉄道で水海道まで行き、タクシーで3000円ほどの田園の中に、黒塀でかこまれた、広大な敷地をもった屋敷があります。いわゆるこの地域の名主で、新田開発で名をはせた名家です。
茅葺きの主屋は国指定重要文化財になっていますが、それに接続して、二階建ての書院という建物があります。大正9年に建てられた建物ですが、その主屋との接続廊下に「蜀江文」のガラスが嵌まっていました。
書院のまわりにガラス戸がありましたが、どういう製法でつくられたかは、まだ判断がつきませんでした。
つぎに行ったところは、常磐線我孫子駅から徒歩20分ほどのところにある、「旧村川別荘」です。この建物は、東京帝国大学教授村川堅固と子息堅太郎の別荘として建てられ、二棟の建物があります。母屋は大正10年に近くの宿を解体移築したものですが、かなりの補修がはいっているようです。
もうひとつ新館は、昭和2~3年頃、朝鮮の建物を参考として作ったと書いていますが、屋根の形は日本風で、扇垂木が朝鮮風なのでしょうか。この建物はあまり補修が行われていないようですが、ガラス窓も当初のものが入っていました。しかし、このガラスの説明は、日本板硝子のコルバーン法によって作られたと断定しています。本当かな?
最後は、新京成の習志野駅から徒歩10分の、陸上・航空自衛隊習志野駐屯地の中にある洋館です。今回は、イベントで、中に入れる日だったので、でかけました。駒場に「御馬見所」として、明治44年建てられた建物をこの駐屯地に移築したものです。いまは「空挺館」という名で、ここに駐屯している、第一空挺団関係の資料を展示していました。
この建物の部屋に入るドアの上にある欄間にすべて「蜀江文」の模様入ケシガラスが嵌まっていました。これは、当初のガラスとすると、この「蜀江文」のガラスの初見かもしれません。細部を見てみると、今まで見た模様と比べて、多少稚拙さがあるように見えました。
そんな具合で、模様入ケシガラス探訪の旅にはまっています。次に見に行くところを現在調査中です。
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