横浜のステンドグラス
神奈川県立歴史博物館へ『仏のすがた 祈りのかたちー県博の仏教美術ー』を見に行ったついでに、近所のステンドグラスを再度見ることにしました。
玄関入り口の天井にあるステンドグラスは、いつ見ても実にきれいです。ガラスの割れがひとちもありません。
南宋時代の”木造菩薩半跏(遊戯)像”という名称は、相も変わらずおかしいともおもわないのでしょうか。
そこから歩いて、横浜開港記念会館へ。ここのステンドグラスは、東日本大震災の後、見に行きましたが、その時から、さらに状況が悪くなっていました。
以前このブログで、修復後の取付方法に問題があることを書きましたが、その杞憂があたってしまいました。
では、ステンレス製の補強棒の取付方法に問題があることを指摘しましたが、東日本大震災でも、かなりゆれたようで、パネルの破損にまではいたらないものの、ダメージが見受けられました。
格子状に取りつけられた、補強棒に結ばれていた針金がパネルのゆれによってゆるんでしまっていました。こうなると、パネルの重量を支えるという補強棒の役割はなくなってしまいます。かといって、簡単にガラスをはずして、締め直すという費用も出ないということでしょう。
このままだと、パネルにゆがみがでることはまちがいありません。
で指摘したことが現実になってしまいました。
特に、正面向かって右の”箱根越え”のパネルは、透明ガラスの内側に施工時につけた吸盤のあとがはっきりと見えてきました。ガラスの内側は施工時に念入りにクリーニングしておくべきだったのに、今更どうにもなりません。
さらに、問題なのは、”内部結露”がおこりはじめていたことです。これは、枠とガラスの間に充填したシールにピンホールがあったため、湿気が中に入って内部のガラスを結露させ、その痕跡が残ってしまう現象です。今のところ枠のそばの一部でしか起こっていませんが、そのうち、ガラス全体が真っ白になってしまいます。
これらも、透明なガラスを一旦はずして、クリーニングしなおすしか方法はありません。といっても、3mもあるガラスを簡単にはずすには、それなりの費用がかかります。
これらの現象はあきらかに施工ミスです。どうするのでしょう?
次は山下公園に停泊している氷川丸へ。
一等特別室に嵌まっている小川三知のデザインといわれるステンドグラスを見学。
オウムの図柄のステンドグラスは、六角形の枠は鉛ではなく、真鍮のような金属をビスで組み立てその中にガラスを嵌めているといった、珍しい技法を用いていました。
もう一つの一等特別室は、草木の図柄ですが、椿の図柄は、いかにも小川三知らしさのする絵に見えました。
氷川丸は昭和5年竣工で、小川三知はすでに没していますが、田辺千代によると、デザインは残っていたようで、製作は、ベニス工房の天笠鐵五郎によるものといっています。
そして、もうひとつひさしぶりに、内田定槌邸へ。
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