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2015年8月16日 (日)

三都旅行(奈良編)『白鳳』展

Photo
 奈良行きの目的は、ただ1箇所「奈良国立博物館」の『白鳳』展のみです。
全体からいえば、これだけの同時代の作品をそろえたのは、さすが国立だけはあるという印象でした。
ただ、「白鳳」といういまだ評価がさだまらない言葉を使ったからには、それなりの定義をしなければならないのでしょうが、
そこのところは、まだ、掘り下げ不足を感じざるをえません。
内藤栄氏は総論のなかで、「白鳳」について以下の説明をしています。

”平成十六年(二〇〇四)、東京・京都・奈良・九州の国立博物館四館で、展示室内及び出版物等における時代表記を日本史の教科書で用いられている表記に統一する方針が打ち出された。これによって、国立博物館においては白鳳時代は「飛鳥時代後期」もしくは「飛鳥時代(白鳳期)」などと表記されることになり、それは今日も続いている。しかし、明治時代以来、多くの研究者が飛鳥時代と奈良時代の間に一つの時代を設定しようとした理由は、そこに飛鳥や奈良とも違う独自の個性を持つ時代を見いだしていたからであろう。本展では白鳳が一つの時代精神を有し、固有の文化を作り上げたと考え、時代表記に「白鳳時代」と用いた。”

たしかに、いわゆる白鳳期は、どういう様式をもった時代なのかについての資料を提供したのは、この展覧会の主旨のように思えますが、いささか消化不良です。

具体的に2点、その問題点を述べることにします。
まず第1点は、坐法という視点です。今回出品された仏像で、衣でかくれて、結跏趺坐か半跏趺坐か判別できない作品をのぞいて、坐像の作例をピックアップすると以下のようになります。

        作品                  坐法       解説

15 独尊塼仏(崇福寺跡出土)         半跏趺坐?  解説:岩井→結跏趺坐
34 如来坐像(櫻本坊)             半跏趺坐   解説:岩井→記載ナシ
79 薬師如来坐像(見徳寺)          半跏趺坐   解説:岩田→記載ナシ
84 阿弥陀三尊像(橘夫人念持仏)      半跏趺坐   解説:岩田→記載ナシ
91 法隆寺金堂外陣旧壁画(六号壁)    結跏趺坐   解説:谷口→記載ナシ
93 大型多尊塼仏(二光寺廃寺出土)    半跏趺坐   解説:岩井→記載ナシ
94 阿弥陀如来塼仏(唐招提寺)       結跏趺坐   解説:岩井→記載ナシ
97 押出阿弥陀五尊像(法隆寺献納宝物) 結跏趺坐   解説:岩井→結跏趺坐
98 厨子入押出阿弥陀五尊像(法隆寺)   結跏趺坐   解説:岩井→結跏趺坐
99 金銅板如来三尊像(慶州市月池出土) 結跏趺坐   解説:岩井→結跏趺坐
100 金銅板菩薩像(慶州市月池出土)   結跏趺坐   解説:岩井→結跏趺坐
124 塼仏片(小山廃寺(紀寺跡)出土)   半跏趺坐?  解説:岩井→結跏趺坐

中国南北朝時代の仏像の坐法について概観すると、この時代の坐像は、衣で隠れて坐法が判別できない作品をのぞいて、膝部分は箱形をし、片方の足裏を表現しただけの造形が主流です。つまり半跏趺坐が主流であり、両足裏を彫刻した仏像は、壁画を除いて管見のおよぶかぎりほとんど見当たりません。(中国の仏像について、現在のところ調査があまりいきとどいていませんが、北魏の仏像で、2例のみ結跏趺坐の仏像を確認しています。)
中国で結跏趺坐があらわれるのは、おそらく隋からで、唐になると、あきらかに、膝部分の造形方法がかわります。それに伴って結跏趺坐に劇的に変化していったのがわかります。つまり、唐は半跏趺坐の坐法が消滅してしまったのです。(もし、唐時代で半跏趺坐の仏像の作例があればご教授ねがいたい。)

このような、中国における様式の変化から、日本の白鳳時代の仏像を見てみると、櫻本坊、見徳寺、橘夫人念寺仏は、唐様式ではなく、それ以前の様式を踏襲しているということになります。
さらに、塼仏、絵画をみると、一部をのぞいて、唐様式を忠実に採り入れた結跏趺坐に表現しているのです。
これについて、岩井共二氏は(コラム「押出仏と塼仏」P184)

”押出仏・塼仏は、飛鳥時代から作られているが、白鳳時代の早い段階から初唐様式を反映した作例が見られる。押出仏も塼仏も原型を使って制作されるものなので、新様式の受容・習得が容易であることが理由の一つであろう。これに対し、白鳳金銅仏や木彫仏では、中国における隋時代以前の6世紀後半の様式を基調にする作例が多い。これは前時代からの工人や伝統的技術が存在し、保守的な傾向が強いためと考えられる。”

と説明しています。さらに、岩井共二氏は結論として(各論「中国彫刻と白鳳仏」P205)

”「白鳳」という時代は、飛鳥時代から奈良時代への過渡期の時代として位置づけられる。そのため、我々は飛鳥=〔古拙〕と天平=〔古典〕の間を一本の線で繫いで、その一直線上に個々の白鳳仏を並べて様式展開を考えようとしがちであった。しかし日本の様式展開は中国のそれと完全にパラレルな関係にあるわけではない。「古拙な造形は古く、写実的な造形は新しい」というような単純な様式展開ではなかったのが、白鳳時代ではないだろうか。白鳳時代の日本には、中国の北斉・隋・唐、高句麗・百済・新羅の六世紀~七世紀までの新旧様々なスタイルがすでに伝えられている。それらが併存していても不思議ではない。”

坐法について注目すれば、上記のような結論の有効な材料を提供できたのに、その発想がなかったのは残念です。

第2点は、彫刻の白鳳時代を語るには避けてとおれない薬師寺論争についてです。
このカタログでは、薬師寺金堂薬師三尊像の製作年代について、資料の提供という立場に立っているようですが、その資料の提供に問題がありました。
薬師寺論争で、しばしばとりあげられる大安寺釈迦如来坐像について、岩井共二氏は、以下のように言及しています。(コラム「押出仏と塼仏」P184)

”この様式の差異は、塑像・乾漆像と金銅仏の間にもあてはまるようである。『七大寺日記』などで薬師寺金堂薬師三尊像より優れていると評された大安寺の乾漆釈迦像は、天智天皇による造立と伝えるが、現存していない。記録によれば左脚を上にして結跏趺坐する姿であったといい、白鳳時代の寺院出土の塼仏や、當麻寺金堂本尊の塑造弥勒仏坐像などと共通する。同時期の塼仏に表される写実的表現からみて、大安寺像は、遣唐使がもたらした初唐様式を反映した先進的な造形であったと考えられている。そうであれば、白鳳金銅仏にしばしば見られる童形仏とはかなり違った雰囲気の、偉丈夫相の仏像だったということになるだろう。”

『七大寺巡礼私記』には大安寺像を以下のように書いています。

一、大安寺
  金堂一宇、五間四面瓦葺、 四面有歩廊、
中尊丈六釋迦坐像以右足敷下、左足置上、迎接引也、

この右足を下に敷き、左足を上に置く という表現は、結跏趺坐をあらわすものではありません。結跏趺坐ならば、このような表現をするでしょうか。もう片方の足はどのようにしているのでしょうか。これは、あきらかに”半跏趺坐”であることを表現しているのです。古文書で、そのように表現している史料があります。

『圖像抄』(大正蔵圖像三)巻第二 佛頂尊 の頁で、

藥師如來
 世流布像有二樣
一者揚右手垂左手。是東寺金堂幷南京藥師寺像也。但以左足押右(月+坒)坐也
二者左手持藥壺。以右手作施無畏。或右手曲水指。或火空相捻

左足で右股を押す とは、半跏趺坐のことを表現しているのです。図像には説明通り半跏趺坐の絵が描かれています。

春秋堂日録 『半跏趺坐』再考(作品編)その1(2012年7月20日) https://shunjudo.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-ee0e.html
でもすでに発表していますが、薬師寺金堂薬師如来坐像は”半跏趺坐”なのです。

Photo_2

大安寺像は、遣唐使がもたらした初唐様式の先進的な造形であったならば、なぜ塼仏のように結跏趺坐ではなく半跏趺坐なのでしょうか。
大安寺像は、薬師寺像と形状は、ほぼ同じであったということでしょう。その上で薬師寺像よりすぐれていたと大江親通は判定したということなのでしょう。
ついでに言うと、當麻寺金堂弥勒仏坐像も半跏趺坐です。

白鳳時代の様式を語るにあたって、基本的な認識が共有できなければ、どんな画期的な論を展開しても砂上の楼閣でしかありません。
だいたい、”半跏趺坐”と”結跏趺坐”の違いについて、彫刻史研究者と称する人は、作品をみて判別できないのでしょうか。
それとも坐法などというのは、彫刻の様式にたいして問題となるものではないとでもいうのでしょうか。
それにもまして、美術史学徒が、学問の基本中の基本である作品の観察もろくにできないのでしょうか。

春秋堂日録で、薬師寺金堂薬師如来坐像は半跏趺坐である、と発表してからすでに3年が過ぎています。その間、某美術全集では、堂々と薬師寺像は結跏趺坐だといっています。また、某財閥系美術館館長は、新書で同様のことを書いています。
美術史研究者は、きっと絶海の孤島で、執筆しているのでしょう。それとも、ネットなどというくだらないことしか書いていないメディアなんて読むに値しないとおもっているのでしょう。
いままで、半跏趺坐について書いてきましたが、一編の反論もいただいていません。ネットサーフィンもできない学者しかいないのでしょうか。それとも無視が最良の反論だとおもっているのでしょうか。この学会の人は情報収集能力も分析力も発信力も持ち合わせていないようです。

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