掛川・静岡の旅
まず、朝一番で、掛川駅に着き、最初は、城の北側にある「竹の丸」へ。
竹の丸とは、掛川城の郭のひとつで、そこに明治36年、掛川の問屋「松屋」の当主、松本義一郎が本宅として建てたものが残っています。
そして、大正9年に離れを2階に改築し、その2階の貴賓室という板の間の窓のランマに2枚のステンドグラスが嵌まっていました。
窓は、掛川城の天守閣が見渡せる位置にありました。
そのすぐとなりに、大日本報徳社があります。大日本報徳社とは、二宮尊徳の唱えた報徳思想の普及をめざして開設された結社です。敷地内には、5棟の戦前の建物が建っています。
そのうちの正面の大講堂は明治36年竣工の木造建造物ですが、その内部のランマに手吹き円筒法によるものと思われる硝子が嵌まっていました。今回なんとかそのゆがみがわかる写真が撮れました。
また、すぐとなりに最近開館した、掛川市ステンドグラス美術館を見てきました。この美術館は、掛川在住の医者のコレクターが寄贈したもので、19世紀イギリスで製作されたパネルのコレクションです。ミュニック式とでもいう系統のステンドグラスで、教会の窓用に製作されたもので、繊細な絵付けが見所なのですが、どちらかというと、絵画(宗教画)としてのジャンルで、色ガラスをつなげる近代のステンドグラスとは違う印象です。
ここまできて、掛川城天守閣に登らない手はありません。掛川城は、木造で再建された数少ない天守閣です。最近城の復元工事も、木造でという傾向になってきましたが、その嚆矢です。
すぐに、JRで静岡にもどり、元美術館館長のN本氏と落ち合い、予約してもらった静岡市役所議事堂の内部に潜入しました。
議事堂の傍聴席側の窓に5箇所、その両脇に丸窓が2箇所ずつ、それぞれステンドグラスが嵌まっていました。
この丸窓は、左右とも同じ図柄でした。
5箇所の大窓の上部を内部の向かって右からお見せいたします。
エンブレムの中の黒丸と、市章は、実際には鏡を切って入れていますので、裏の塗料が部分的に剥がれています。また、右1番のエンブレムの中の十字は、どうも2枚の硝子の外側に描いているようです。これは、鳩山会館の五重塔の組み物部分の技法と共通しています。
このステンドグラスの製作は、小川三知の甥の木村信三という人だそうです。この人物がいまのところよくわかっていません。小川三知没後の、小川スツジオがどうなっていたのかがはっきりとわかっていないためです。
その後、静岡県立美術館『富士山ー信仰と藝術ー』展へ、久しぶりに円楽寺の役行者片足垂下像を拝見。美術館のキャプションでは、”役行者半跏像及び前鬼後鬼像”となっています。解説でも「左足を踏み下げる半跏の形態をとる。”と言っています。
こんなこといちいち指摘しなければならないのが情けない。
今回は、N本氏に静岡で、もう1箇所ステンドグラスの嵌まっている建物の調査を頼んでいたのですが、残念ながらその建物は平成17年取り壊されたとの事でした。ひょっとしたらパネルだけでも残してくれたらという一縷の望みをもった一日だけの内容の濃い旅でした。
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