鳥羽大庄屋かどや
先週(5月14日)に、三重県鳥羽市にある、「鳥羽大庄屋かどや(旧広野家住宅)」を見に行って参りました。サミット会場も近くなので、警察官がやたらと目に付きました。
鳥羽駅からひとつ先の「中之郷」という無人駅には、立派なステンドグラスが二面嵌まっていました。駅から、徒歩10分ほどで、道の突き当たりにその建物は見えてきました。
旧広野家は、江戸時代、鳥羽の大庄屋で、明治になって、薬屋をはじめ戦前まで続いたそうです。建物は、文政8年(1825)の棟札のある建物と、明治17年(1884)までに増改築された建物がつながっています。
まず内部の座敷の引き違い戸です。
模様入りケシガラスは、蜀江文に斜めに線が入った模様で、縦と横に使い分けています。この模様が、この建物の中で一番多く使われていました。
玄関ホールの道路側の窓に斜めにケシ加工をして、その中に模様をちりばめたガラスが2枚嵌まっていました。
模様は、巴文や、後出の便所入り口のガラスの模様の部分を切り取ったものなどを散らしてあります。
もうひとつ、内部の片引き戸には、結霜ガラスが嵌まっていました。
座敷から廊下を通して、庭が見えますが、その座敷のランマに、さっきの蜀江文に斜め格子の模様のケシガラスに、中を雲の形にマスキングして、その部分だけサンドブラストがかからないように透明にしたガラスが嵌まっています。
さらに、廊下のランマにも貼交ぜ風の模様入りケシガラスがはまっており、そのランマの一部には色ガラスが嵌まっていました。
さて、その廊下の突き当たりに色ガラスと模様入りケシガラスが嵌まっている引き違い戸があります。NETで見た写真は、この戸しかありませんでした。
その横の便所の引き違い戸には、なんと8種類にも及ぶ模様入りケシガラスが嵌まっていました。しかもそのうち5種類は、初めて見る模様でした。
便所の中にはいると、小便器のある部屋の窓には色ガラスが嵌まっていました。
更に大便器のある奥の部屋の窓も幅はせまくなっていますが、同じ作りになっていました。
この建物に嵌まっているガラスは、透明の硝子に中には、手吹き円筒法によって作られたものも、よく残っていました。
上は、廊下突き当たりの引き違い戸の青色ガラスですが、泡がはいっています。
建物は、明治時代に建てられたものですが、その後、おそらくは、大正時代にガラス戸などに入れ替えたのではないかとおもわれます。
とくに、これだけ模様入りケシガラスの模様のバリエーションには、驚くものがあります。関西圏では、この模様入りケシガラスの例がほとんど確認されていない現状で、これだけの種類の模様入りケシガラスが嵌まっているというのは、どう解釈したらいいのか、考えさせられました。
おそらく、この鳥羽という地は、名古屋からの影響が強い地域と見ないといけないのかなと思います。しかも伊勢型紙の産地である、白子が鳥羽と名古屋の間にあるので、なにか関係性を感じざるを得ません。
これからは、中部圏での、模様入りケシガラスの製造所の探索も行わなければいけないのかなと思います。
それにしても、この建物は大収穫でした。
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