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2016年10月18日 (火)

福井県・高岡・富山の旅(1日目)

10月14日から16日まで、2泊3日の旅をしてきました。

まずは、敦賀で、車を借り、日本海沿いに北上、越前町にある北前船の館・右近家へ。
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北前船の船主であった10代目右近権左衛門は、明治時代、海運の近代化と同時に海上保険業に進出し、11代目右近権左衛門は、日本海上保険の社長をつとめ、昭和10年、この本宅の後山の中腹に西洋館を造りました。この西洋館の階段室にステンドグラスはありました。
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玄関横の窓も無模様のステンドグラスがありました。
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ここから、内陸へ車を進め、越前市へ。越前市武生公会堂記念館「正覚寺展」を見学。
この展覧会には、善光寺式阿弥陀如来立像が出陳されていました。この越前市という地には、善光寺式阿弥陀の作例が数多くあることがこの展覧会で知りました。
北村市朗「越前における善光寺三尊仏とその信仰(5)」『長野』156 1991.3 にその分布が記載されているとのことです。

北上して、鯖江市へ。鯖江市まなべの館「祭りと祈りの原風景」展へ。
仏像が7体ほど展示されていました。

そして、福井市へ、福井市立郷土歴史博物館「福井の仏像」展へ。
30数体の仏像が1部屋に展示されていました。その中で、注目は、味真野神社の聖観音坐像でした。

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平安後期 12世紀の仏像ですが、半跏趺坐です。カタログの執筆者は、解説で、ちゃんと”半跏趺坐”と書いています。大変勇気のある人か、学界の情勢に疎い研究者なのでしょう。
もうひとつ、大滝神宮堂の虚空蔵菩薩坐像も逆の意味で注目です。

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この仏像は、平安前期 9世紀の仏像であるにもかかわらず、しかも、虚空蔵菩薩像の図像にはない、“結跏趺坐”なのです。

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これは、どう解釈したらいいのでしょうか。珍しい例としてあげておきます。

車は、高速道路にはいり、北上して石川県に入り、片山津ICでおり、北前船の里資料館へ。この建物は明治9年、酒谷長兵衛が建てた住宅です。

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この橋立という地は、北前船関連の住宅が集住した町だそうです。古い町並みが残っていました。

海岸沿いに西へ、車を走らせると、吉崎御坊の跡にたどり着きます。

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北潟湖と、正面は鹿島の森という天然記念物、左方に吉崎御坊があった御山があります。いまは周囲が埋め立てられて、陸の上の丘になっていますが、当時は、潟に突き出た半島のような場所だったようです。要塞としての立地になっていました。

内陸にむけて走ると、旧三国町に「みくに龍翔館」が山の上に見えてきます。郷土資料館として建てた建物ですが、明治12年から大正3年にかけて建てられた龍翔小学校を再現した建物です。

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窓には、樹脂ガラスに色づけした疑似ステンドグラスが嵌められています。

あとは、福井駅にもどって車を返却するばかりでしたが、時間もあるので、丸岡へ寄り道。城の中には入らなくて、城の周りをぐるっとまわって、福井市に到着。

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