安土・神戸・姫路の旅
3月18日19日と旅にでました。
まずは、米原から東海道線で、安土駅へ、今回は初めてレンタサイクルで安土城考古博物館へ。「大湖南展ー栗太・野洲郡の風土と遺宝ー」の見学です。このシリーズは、滋賀県の仏像の紹介としては何回も開催してほしい展覧会です。
その中で、注目したのは、真光寺聖観音菩薩坐像です。この仏像は銘文があって、1036年には完成していた仏像です。今回、膝部分を俯瞰して見てみると、半跏趺坐です。
この仏像は、『基礎資料集成』にも掲載されている仏像です。それには結跏趺坐と書いてあります。
自転車の機動性を生かして、安土駅の近くにある「旧伊庭邸住宅」へ。
大正2年(1913)ヴォーリズ設計の住宅です。内部には、結霜ガラス、色型硝子が嵌まっていました。
東海道線にゆられて、神戸六甲道駅で下車。歩いて、“武庫の郷”の甲南漬資料館へ。
ここは昭和5年(1930)年竣工で、創業者の高嶋平介の自宅を資料館としています。
壁に2箇所ステンドグラスがありました。このステンドグラスはオパールセントグラスを使わない手法で作られています。
JR住吉駅からバスで、白鶴美術館へ。ここは、初めての訪問です。収蔵品のすばらしさに感動です。関西のコレクターのすごさを実感させられました。
泊まりは、姫路市内で、翌日、山陽電車で、山陽網干駅で下車。歩いて、ダイセルへ。ダイセルは、明治42年日本セルロイド人造絹糸として創業。明治43年にイギリスから技師長を呼び、その居宅として建てられた洋館が2棟、工場内に残っています。
さて、今回のメインは、そこから歩いて10数分の住宅街の中にある「山本家住宅」の見学です。山本家は、メリヤスの製造で財をなし、網干町長、網干銀行頭取を務めた家です。
建物は、明治初期に建てられた主屋と、大正7年(1918)の洋館、和館があります。
まずは、玄関から。
望楼付きの黒壁の洋館ですが、和様折衷の意匠を採り入れています。
書斎とサンルームの間の窓にステンドグラスがありました。
このデザインは、他のステンドグラスと違うデザインコンセプトを持っています。その横の出窓のステンドグラスは、すばらしいデザインです。
このデザインは、きっとその作家は明らかになるだろうと思いますが、かなりの上級レベルです。
廊下と洗面室の壁取りつけられたFIX窓は、
廊下の天井に同じ図柄の六角形のステンドグラスのトップライトがあります。
これも、丸い半円形のかたまりのガラスを使っているところは、どこかで見たような気がします。
そのほか、窓ガラスには、結霜ガラスを多用していました。
残念ながら、模様入りケシガラスは、ここでも見当たりませんでした。関西で、模様入りケシガラスの例がこれほど少ないのは、どうしてでしょうか。大阪の硝子問屋、篠原善三郎商店では、「硝子板意匠摺見本」というカタログをだしているのが、判明しているのに、何故普及しなかったのでしょうか。いまだに、その疑問が解決できません。
数十年ぶりに、改修なった姫路城の内部を見学しようと、お城に行ってみると、天守閣は1時間待ちだそうで、そうそうに引き上げました。
もう1回すべてを見尽くしたいと思ったのですが、しかたなく、バスで太子町へ。
「斑鳩寺の文化財ー庫裏の仏さまたちー」展へ。庫裏の解体修理に伴って子院の仏像の展示を行っていました、殆どが近世の小像なのですが、その中で、一面六臂の不動明王立像を発見しました。実に珍しい仏像ですが、残念ながら、カタログはなく、資料としての写真が手に入りませんでした。
今回の旅では、やはり、網干の山本家住宅が、一番の成果でしたが、こういった住宅がこれから、長い間維持できるのか、不安がのこりました。
« 豊橋、浜松の旅 | トップページ | 鎌倉近代建築の旅 »
「仏像」カテゴリの記事
- 『祈りの仏像 出雲の地より』展で思うこと(2022.10.14)
- 羽下薬師堂と西刑部観音堂(2022.09.23)
- 鎌倉彫刻資料集(2021.05.30)
- 『日本彫刻史基礎資料集成』データベース(2020.04.20)
- 狛坂磨崖仏 その1(2018.03.18)
「旅行」カテゴリの記事
- 小浜散策(2017.10.17)
- 関西仏像旅(2017.05.07)
- 安土・神戸・姫路の旅(2017.03.20)
- 豊橋、浜松の旅(2017.02.19)
- 京都・道明寺・南山城の旅(2017.01.29)
「ステンドグラス」カテゴリの記事
- 瀧山邸のステンドグラス(2024.09.11)
- 文化のみち二葉館のステンドグラス(2024.08.07)
- 戦前刊行のステンドグラス図案集から(2024.06.07)
- 旧須藤邸 ステンドグラス編(2022.10.06)
- 橋本の香(旧三桝楼)のステンドグラス(2022.05.02)
コメント