旧石川組製糸西洋館ステンドグラス修復完了報告会
今日(25日)、最悪の想定通りの結果になりました。この報告会は、ステンドグラス修復実施者である(株)松本ステンドグラス製作所の松本一郎氏の報告会が主でした。
松本氏には、事前にこの修復についての疑問点を投げかけて、それに対して、丁寧な回答をいただいていたので、すべて、納得したわけではありませんが、松本氏の修復の具体的な方法は、よく承知できました。これは、当日その疑問をぶつけても、あまりにも複雑な事柄なので、その手間をはぶくためでした。
さて、松本氏には答えられない発注者の意向は、当日でなければ聞くことができないので、手ぐすね引いて、質問の時間を今か今かと待っていると、冒頭、司会者が質問はなし。あとは個別にということで、ガッカリ。それで、会が終了した後、入間市博物館の発注者(館長さんだったか、副館長だったか不明)とおぼしき人に、質問を投げかけました。
自分: この向かって左の2枚のパネルが何で入れ替わったのですか?これは、確かな証拠があって入れ替えたのですか?
発注者: いや、証拠はありません。
自分: では、これは修復のうえに現状変更までしたのですか?
発注者: 現状変更といえばそうですけど・・・
自分: 登録文化財の現状変更は、文化財保護法第六十四条に、“現状変更する場合は、三十日前までに文部科学省令で定めるところにより、文化庁長官にその旨届けなければならない。”と書いてあります。当然、文化庁に現状変更の届けをしたのですね。
発注者: この建物は、建造物として、登録文化財に指定してあります。建物の現状変更は外観の四分の一までなら、変更が許されています。
自分: このステンドグラスは、登録文化財ではないんですか?
発注者: ステンドグラスは、登録文化財にはいっていません。
自分: え!え!
自宅にもどって、もう一度文化財保護法を読み直してみると、登録文化財は、2004年の改正により、建造物だけではなく、美術工芸品も登録文化財に登録できるようになりました。
平成八年文部省令第二十九号 登録有形文化財に係る登録手続及び届出書等に関する規則
第一条 文化財保護法第五十七条の文化財登録原簿には、次に掲げる事項を記載するものとする。
六 登録有形文化財が建造物以外のものであるときは、その寸法、重量、材質その他の特徴
と、建造物以外でも登録できるのです。さらに問題なのは、朝日新聞文化財団から、助成金を受け取る際の、名称は
“国登録・旧石川組製糸西洋館ステンドグラス(埼玉 入間市教育委員会)” として、2019年に選定した文化財保護活動への助成のリストに掲載されています。
https://www.asahizaidan.or.jp/grant/grant04_2019.html
そして、完了報告会のパンフレットには、【総事業費】 1,622,500円(うち助成金1,430,000円)と書かれています。
ということは、ステンドグラスも登録文化財であることは、申請者の入間市教育委員会が承知の上で申請書に記入したことになります。
さらに、文部省令第十四条には、法第六十四条第一項の規定による現状変更の届出は、次に掲げる事項を記載した書面をもって行うものとする。
八 現状変更を必要とする理由
九 現状変更の内容及び実施の方法
十一 登録有形文化財が建造物以外のものである場合においては、現状変更のために所在の場所を変更するときは、変更後の所在の場所並びに現状変更の終了後復すべき所在の場所及びその時期
第十五条 前条の届出の書面には、次に掲げる書類、図面及び写真を青江なければならない。
一 現状変更の設計仕様書及び設計図
二 現状変更をしようとする箇所の写真及び見取図
発注者の言葉の端々から、つぎのことが推測できました。
まず、このステンドグラスは、建物に付随しているものだから、個別に登録するという発想がなかった。
しかし、助成金をうけとるには、登録文化財にしておけば、とおりやすいと考えた。ステンドグラスのパネルを入れ替えることは、現状変更にあたるという発想もなかった。なぜなら、登録文化財(建造物)は外観の四分の一まで、内装は現状変更にはあたらないことから、ステンドグラスの変更も、内装物だし、まして、外観の変更でもない、と考えたのでしょう。だから、言葉をにごしていますが、文化庁にコンタクトをとったという言動の形跡がありません。
建物に付随している内部の窓は、不動産ではなく、動産です。これは登録文化財の想定外で盲点だったのでしょう。しかし、2004年の改正で、建造物以外にも登録できるようになったので、これを有効に使えば、その矛盾は解消できたはずです。それをしなくて、あいまいにしたことが問題だったのです。
もう一度いいますが、助成金申請の名称には、“国登録文化財旧石川組西洋館ステンドグラス” と発注者自ら書いていたはずです。
だったら、速やかにステンドグラスを登録文化財に申請し、文化庁に現状変更の届出をすべきです。そうしないと法律違反の状態が続くことになります。
もうひとつ
自分: この右端の花は”菊”ですか? あなた菊に見えますか?
発注者: このステンドグラスは“四君子”を表しています。
自分: だから、あなたは、これを菊だとおもいますか?
発注者: ・・・・・・・・
自分: 菊はこんな花びらをつけるのですか?菊は赤い実をつけるの?この葉は菊の葉ですか?
自分: 大体、四君子というけれど、単に他の3つの花を参照しただけでしょ。どこが四君子なのですか?
発注者: T先生(某有名大御所ステンドグラス研究家・今回の修復のアドバイザー)がそうおっしゃっていたので・・・・
注: 四君子 について解説
望月大漢和辞典によると
>〔四君子〕唐畫で氣品を君子に見立てた四つの植物。蘭・菊・梅・竹
となっています。
さらに
夏井高人「四君子考」『明治大学教養論集』526 2017年9月30日 https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/19131/1/kyouyoronshu_526_5.pdf
この中で、東洋画の画題としての「四君子」という見出しで、「蘭、竹、梅、菊」の4種がどのような過程で「四君子」と呼ばれるようになったのか論じています。
そのまとめには
>“日本国における「四君子」の用例の典拠またはその起源は、必ずしも明確ではない。日本国には遅くとも安永年間頃までには画題として「蘭、竹、梅、菊」を重視する考え方が導入されたと推定される。しかし、それを「四君子」と総称する語の用法は、明治以降に確立された可能性が高い。
さらにネットで検索していると、四君子には根拠のある順序が存在するか というサイトを見つけました。 http://www9.plala.or.jp/majan/his47.html
それによると、麻雀牌に入っている花牌を見ると、「春夏秋冬」との対応が「蘭竹菊梅」の順になっているのだそうです。ところが、台湾では昔から”梅蘭菊竹”の順で呼称されているとのこと。先述の大漢和の用例で、『集雅譜』では”蘭菊梅竹四譜”とあり、『竹堂四君子畫譜』には”文房清供 獨取梅竹蘭菊四君者無也とある。
結論
>そこでつらつら考えるに(^ー^;昔の中国では梅蘭竹菊という4種の植物が重要なのであって、”春夏秋冬という季節を代表する植物”というわけではなかったと想われ、そこで好みによってさまざまな順番で呼称さていたが、語呂のよさで梅蘭竹菊が主流となった。やがて麻雀の花牌としてナンバリングが必要となったとき、もっとも人口に膾炙さていた”梅蘭竹菊”が採用された、と推測する次第。
これでおわかりになったでしょう。なぜ左の2枚の”蘭・梅”が左右入れ替わったのか、右端の花が”菊”でなければならなかったのか。このステンドグラスの画題はどうしても「四君子」にしたかったのです。だから、季節の移り変わりの順番にしたかったのです。しかし左半分の2枚を左右入れ替えても順番は 冬(梅)→春(蘭)→夏(竹)→秋(菊)となってしまいます。一応季節の移り変わりと合致します。しかし、どうして大方の日本人が発想する春夏秋冬として春(蘭)→夏(竹)→秋(菊)→冬(梅)にしなかったのでしょうか?そこまで、大胆にやる度胸がなかったのかもしれません。というよりも、四君子を表現するのに決まった順番などない、というのが史料を調査した結論です。
もし、四君子の花に明確な順番があるのなら、その根拠を示した上で、左右入れ替えるべきでしょう。それよりも、根拠なく平気でパネルを入れ替えるなんて考えられないことです。これは、製作者に対する冒涜です。
この四君子を題材にしたステンドグラスは、国内に3例あると、例の修復アドバイザーの大御所はここが売りなんだと強調しています。
ひとつは、鹿児島の岩元邸、ふたつめは、鎌倉の松本烝治邸です。そして、3例目がこの旧石川組西洋館のステンドグラスだというのです。
これを強調して、アドバイスされたら、このステンドグラスは四君子を題材とした物だと信ずるか、普通の役人なら忖度するしかないのでしょう。以前書いたハダカの王様の家来になったのでしょう。ちゃんとした博物館員なら、その根拠を問いただすとか、これが本当に菊なのか、ご自分の目を信じればわかるはずです。そして、その博物館員が書いたこのステンドグラスの、修復前の説明と、修復後の説明、そして、報告会のチラシの文章を見てみると、題材に関する説明が徐々に変わっているのがわかります。およそ理屈にあわない大きなご意向にそった変遷のように見えます。
もうひとつの現状変更について
今回の報告会で、松本氏から報告された事実は
1 パネルを建具にはめ込む方法は、框をはずして組み込む方法だった。しかも二重枘を使ったかなりがっしりした建具だった。
2 蘭とお茶の花と実(これは菊ではありません)のパネルのガラスは他の2枚のパネルと違って、いわゆる裏面を使っていた。
3 各パネルには、縦に通して真鍮のH型ケイムを2本補強のため使用していた。
これが、修復時に知り得た主な技法です。
1 これらの事実から、断言はできないまでも、かなり明白に言えることは、4枚のパネルとも、製作時以後、建具からはずしたとは思えないこと。
建具そのものを交換したのならば、補修痕が残らなくなりますが、その前提がなければ、このパネルは製作時から変更はなかったと考えられます。
2 とすると、なぜ、2枚のパネルが裏だったのか、という疑問です。
松本氏は2つの推測をしています。
>①恐らく竣工当初にステンドグラスを引き渡した先の大工さんが、間違えて入れたのだろう。更に作者も納品後確認に行かなかったのか。
> →建具には押縁はなく、ほぞで組み込まれていたため、大工の組み込みと推測しました。
>②竣工当初は全て表を向いていた。後に改修が行われ、裏表が反転された。
> →一部、ほぞのクサビが欠損しており、ネジ留めされている箇所がありました。一度外された履歴と推測しました。
ガラスの裏と表はどう違うのか、ということを説明すると、非常に専門的な話になってしまうのですが、ステンドグラス用の特にオパールセントグラスの表面の凸凹が多いか少ないかという違いです。
ガラス面を斜めからみて、やっと違いがわかる程度です。凸凹の多い面が、見せる面となります。
それについて、松本氏は
>今まで戦前のステンドグラスで、パネル内で表裏ちぐはぐというのは、ほとんど見かけたことがないため、やはり(当初・補修に関わらず)設置時のミスと判断すべきです。
ということで、今回の修復時に2枚のパネルを反転した。と説明しています。
松本氏の経験にもとづいた正義感は、わかりますが、ミスはミス、それも作品なのです。製作時に作者が確認しなかったとしても、それが、いまでもそのままならば、それが作者の作品なのです。作者の意向もわからないで、修復者の正義感をだされても、それは、修復者として越権行為になります。
松本氏の2枚のパネルの反転について、いままでの職人としての、経験と実績は、十分にリスペクトに値しますが、これは、技術的な実績と経験のみの判断です。しかし、これを実行するにはもっと違う観点からの考察が必要です。いままで裏表ちぐはぐなステンドグラスはなかった、といっていますが、このステンドグラスこそ裏表ちぐはぐの最初の例だったのかもしれません。これは、経験だけで判断することではありません。本来は、発注元の博物館に文化財行政の熟知した人材がいればよかったのですが。
見た目では、左側の2枚のパネルの左右入れ替えと、2枚のパネルの反転をしたことで、この4枚のパネルの題材の位置が変わってしたために、改修前と改修後では、その構図がまるで別作品のようになってしまったのです。美術史的に絵画を見るとき、その構図に注目します。それぞれの花・木のパネルの中での、位置が4枚全体のパネルにどうバランスとしてマッチしているかを見るのです。
その観点からみると、この修復がどの方向を向いてなされたのかが理解できません。修復前の構図を破壊しているのです。
原点にもどると、今回の工事は修復工事です。復原工事ではありません。まして復原工事ならば、たとえば、下図、竣工時の写真、竣工時に書かれた文章など、証拠となる製作時の史料があって、それにもとづいて変更を行わなければなりません。ですから、この変更は、不確定な理屈で、復原工事でもなく、単なる修復と合わせた現状変更工事になってしまったのです。
ここで、本題にもどります。左側の左右パネル入れ替えと右端の花を菊と強弁した現状変更を、もし、文化庁に報告があがったら、その他の2枚の裏表反転とともに、文化庁はどういう判断をくだすのでしょうか。まあ、同じ役人同士ですから、法律を上手に解釈して、なあなあに済ませるのか、にぎりつぶすのは目に見えています。しかし、修復前の状態と修復後の状態の違いは、確実に事実として残ります。そして、博物館の人は、修理工事報告書を必ず出します、と約束してくれました。さらに、これは公開しますとも。報告書の内容についても、事実をありのままに書くことを断言しました。まあ、都合の悪いことは書かない。いろいろ修辞をつくしてごまかすのは、あらかじめ予想しておいていいかともいますが、修復によって現状が変更されたことは、厳然たる事実で、この報告書がでれば、また追求がはじまります。
なぜこんなしつこいことをいうのかというと、今までの文化財修復で、修復における及第点が非常に少ないのが気がかりなのです。たとえば、文化財を修復するときに、修復前の状態の詳細を調査するのは当然ですが、修復時にだれが、どの部分をどのように入れ替えたのか、どのように補作したのか、などなど、そのひとつひとつに客観的な作業状況が記述されている報告書でなければなりません。その補修の際、その補修方法について、選択しなければならないことがあるでしょう。その時どちらを選択したのかも報告書に記述しなければなりません。このように、修復は文化財を文字通り修理する作業と、その経過を詳細にかつ客観的に記述する修理工事報告書があって、はじめて、修復工事が完了するのです。そういったことを丁寧に行っている修復工事は数える件数しかありません。ステンドグラスという、文化財とまだ認知されていない分野については、他の文化財に較べてまだまだ経験不足が否めません。もっと習熟度をあげていかなければならないと思うからです。
今回の、当該ステンドグラス修復工事で報告書が公開された以後、おそらく2~30年後に修復の機会があったとき、この修理工事報告書と実物をみて、後世の修復者が何でこんな修復をやったのか理解に苦しむようではいけません。客観的な資料を提供することこそが、今、文化財保護を担当する人の最低限の勤めだとおもいます。数十年後を見据えた修復をしていただきたいとおもいます。文化財行政のさらなる習熟をせつに希望いたします。そうでないと、戦前のステンドグラスの地位向上になりません。
参考文献
・文化財保護法
・登録文化財に係る登録手続及び届出書等に関する規則
・朽津信明「〔報告〕日本における近世以前の修理・修復の歴史について」『保存科学』51 東京文化財研究所 平成21年3月31日
・夏井高人「四君子考」『明治大学教養論集』526 平成29年9月30日
リンク
・旧石川組製糸西洋館 2012年6月9日 https://shunjudo.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-008c.html
・旧石川組製糸西洋館(改修後) 2021年3月18日 https://shunjudo.cocolog-nifty.com/blog/2021/03/post-815424.html
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