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2022年9月

2022年9月23日 (金)

羽下薬師堂と西刑部観音堂

 もう半世紀ほど経ってしまいましたが、大学院生の頃、ゼミの一年先輩の尾崎さん(後に京都国立近代美術館館長)が車をだすというので、日帰り旅行をしようという話になりました。いっしょに行くことになった若林先輩(後の福島県立博物館から東京家政大学教授)も同行ということなので、宇都宮市内にある羽下薬師堂と西刑部観音堂を見たいと提案しました。突然のドライブなので、何のアポイントもとらないで、突然行ったものですから、羽下薬師堂は地域で管理している管理人の家を訪ねましたが、留守でかないませんでした。そして、西刑部観音堂(現 大関観音堂)は墓地の中にある堂で、これは、拝観がかないました。この像は、昭和56年に修理をしたので、修理前の状態を見たことになります。
それから、数年たった頃、小生はもう商売を始めていましたが、しばしば、休日に後輩をつれて関東近辺の寺院巡りをしていました。それで、後輩で大学院生だった成沢君(後に早稲田大学教授)に、栃木県立博物館の準備室に知り合いがいるというので、羽下薬師堂の拝観の手配ができないか頼んでくれました。それで、自社の車に後輩を乗せて宇都宮にいくと、栃木県立博物館準備室の北口氏(元栃木県立博物館学芸員)が待っていてくれました。それで、茅葺きの小さなお堂の中の厨子にはいった薬師如来立像を拝観することができました。北口氏は熱心に管理人に是非厨子から出したいと要望しましたが、地域住民の合意が必要ということでかないませんでした。

その後、西刑部観音堂(現 大関観音堂)の菩薩立像を拝観しました。その時は修理が終わったばかりのきれいな容姿でした。あまりにも黒漆が光っているのが印象的でした。こうも印象がかわるのかとおもいました。

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 さて、羽下薬師堂の薬師如来のほうですが、螺髪は、肉髻部にはなく、額の上部のみに切りつけられているように見えました。顔部では左目の上にえぐれたような傷があり、両手は欠失していて、特に右手先には、手先を無造作に釘で打ち付けていました。そして、両足先は腐食しているようで、小さな厨子の中に立てかけてある状態でした。表面は全体的に黒漆のようなものが塗られているようでした。

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それから数十年後、薬師如来像は無住の羽下薬師堂から近くの能満寺に移され、修復後、新しく六角堂を建てて安置した、という情報を入手しました。その写真をみて、ビックリ仰天! 頭にカツラのようではなく、明らかに帽子を被せたような螺髪がありました。この修復は、誰がどのような方針でなされたのだろうか?と首をかしげました。いかにも、仏像に帽子を被せているように見えること自体異常です。しかも、修復前の螺髪の形状とまるで違います。

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ところが、今回の展覧会に出品されると、一転、その帽子の螺髪が取り除かれていたのです。これは、どういうことなのでしょうか?図録の解説では、平成7年(1995)に修理が行われ、“着脱可能な螺髪、両手首先、一部の衣文表現などは修理で復元され補われた”としています。この修復での問題点は、当初、切り付けの螺髪があるのに、それを削って着脱可能な螺髪を被せたことです。従って、螺髪の大きさもまるで違ったものになってしまいました。それだけで、印象がかわってしまったのです。

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 たしかに、帽子状の螺髪は、見た目不自然さを感じます。しかし、博物館は、なぜ帽子をはずしたのでしょうか?見た目がわるいから?そもそも当初は、螺髪がなかったから? たんに見た目が悪いから、修復者の意向を無視していいものなのでしょうか? 当初は螺髪があったのにそれを削った状態をみせて、当初のように見せるとしたら、それは、何かの意図があるようにおもえます。すくなくとも、博物館に展示する際に帽子螺髪を取り外した経緯は学術的に説明するべきでしょう。見た目が悪いから というのは学術的説明ではありません。あくまでもファクトとエビデンスにもとづいた説明でないと。念のために。

2022年9月21日 (水)

イッタラ展

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 私が北欧デザインを知ったのは、大学で受けた“デザイン論”という授業からでした。先生は、当時、金沢美大の教授だった藤森健次先生でした。早稲田の美術史の傾向からはずいぶんと外れた授業内容でした。早稲田の美術史は、伝統的には、文献と実物を両輪のように研究するといわれ、むしろ、文献を重要視する傾向にあったようにおもいます。ところが、藤森先生は、スライドを多用し、さまざまな分野でのデザインについて見せてくれました。印象にのこったのは、先生の奥さんが北欧の人で、その洋服のスライドで、北欧のテキスタイルを見せたことでした。他の美術史の授業と違って、いつも新鮮な期待がありました。また、当時大森にあった「各務クリスタル」の工場見学。益子の窯元(しかも島岡達三窯)の見学など、実際の現場に連れて行ってくれました。
そして、私の義理の兄が、北欧家具の輸入商社に勤めていた関係で、北欧家具が家の中に増えてきました。時は、バブルのはじまった頃、同年代の仲間は、稼いだお金の使い道を探して海外旅行、車、ゴルフと遊ぶためにお金を使っていました。私はというと、ひたすらすぐ読みもしない文献を買いあさっていました。リタイアしたときに使えるようにといった壮大で、無謀な計画からでした。
その頃、船橋に“イケア”という家具のスーパーのような店がオープンしました。大きな倉庫の中の棚に、梱包した家具が置いてありました。それを持ち帰り、自宅で組み立てていました。北欧家具のリーズナブルで、シンプルなデザインが新鮮な感覚に感じられました。
そのイケアの店の中に“イッタラ”の硝子器の展示コーナーがありました。フランスのバカラのような鉛ガラスで豪華なカットの入った器とちがって、実にシンプルで使い心地のよさそうなデザインでした。しかも、調べて見ると、当時、4人のデザイナーがどの器をデザインしたかを箱に表示していました。いわゆるガラス器メーカーでは、よほど有名な作家でない限り、誰がデザインしたかは見せず、自社ブランドとして売り出していました。イッタラはデザイナーがそれぞれ個性あふれるデザインをし、デザイナーの名がわかるガラス器を発売していました。値段も手頃なので、何度か通って、購入しました。それが、現在所有の3セットです。

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KALEVA(Tapio Wirkkala)タピオ・ウィルカラ

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UNIKKO((Tapio Wirkkala)タピオ・ウィルカラ

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ARKIPELAGO(Timo Sarrpaneva)ティモ・サルパネバ

その当時は、他に
カイ・フランク(Kaj Franck)
アルヴァ・アアルト(Alvar Aalto)
アイノ・アアルト(Aino Aalto)
のデザイナーがそれぞれのブランドを出していました。

今、イッタラのサイトを見ると、
オイバ・トイッカ(Oiva Toikka)
ヘイッキ・オルヴォラ(Heikki Orvola)
アルフレッド・ハベリ(Alfredo Habeli)
クラウス・ハーパニエミ(Klaus Haapaniemi)
の作品が売り出されているようです。

今回の、Bonkamuraザ・ミュージアムで開催された展覧会は、イッタラの歴史だけではなく、フィンランドのガラス工芸の全てにわたった展示でした。学生時代、藤森先生から繰り返し北欧デザインの素晴らしさを教えていただいた記憶がよみがえるようでした。図録を見ると、先生はその頃、フィンランドデザインを普及させるべく日本で奔走していたそうです。
そんなこんなで、今回の展覧会で購入したのは、まだ所有していない、アルヴァ・アアルトのアアルト ベースとアイノ・アアルトのコップをゲットしました。

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アアルト ベース

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アイノ・アアルト

その他に、今、使っている小鉢、色ガラスのシンプルなコップなどを所有しています。普段使っていても全然飽きが来ないデザインです。あまり思い入れが過ぎると、それぞれのデザイナーの作品がほしくなります。オ---ット!!、くわばら、くわばら、私はコレクターにはならないと誓っていますので。

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