旧須藤邸 色硝子・型硝子・加工硝子編
旧須藤邸にはステンドグラス以外にも戦前のさまざまな板硝子がはまっています。
まずは、色硝子から。大正後期に増築されたとされる奥座敷の建物の中の風呂場周りにあります。
まず、廊下と風呂場の間の引き違い戸
廊下の突き当たりにある引き違い戸
風呂場の中の引き違い戸
そして、主屋からの廊下の引き違い戸にあります。
色硝子は赤・緑・黄・青の4種類と結霜硝子を組み合わせています。その内、青の硝子にはサクラの模様を抜いたサンドブラストを施しています。さらに、廊下の小さな青の色硝子の1カ所は、サクラではない模様がサンドブラストしています。あとで、写真を見てみると、透明の硝子には“大小菊菱文”の模様入りケシガラスがあるのを発見しました。風呂場周りの窓は、いわゆる“山パテ”によるガラスの取り付け方法をしています。
次に型硝子ですが、国産のモールをのぞいて、ほとんど舶来の型硝子のようです。
サロン入口の上が半円のドア
サロンの廊下のランマ
2階の窓
1階サロン入口の引戸は、国産のモールよりさらに幅の狭いストライプ柄で、ステンドグラスで使われるCode(コード)と言われる型模様のようです。
最後に加工硝子には紐抜きと絵柄のサンドブラストがありました。
まずは、紐抜きから2階の窓に”蕨木爪”があります。
1階風呂場の窓の下部には“角丸”と“子持ち木爪”があります。
1階の居室の引戸他、サロン2階の吹き抜け部分にある引戸など、ランマも含めて、“内丸子持”という模様が全般的に使われています。大判のガラスの加工は、板そのものの製造と製造機械の関係でおそらく戦後の加工とおもわれます。
2階の窓は花模様の図柄のサンドブラストが2カ所あります。
さらに、廊下の照明器具の傘にも模様入りケシガラスと思われるガラスが使われていました。
色硝子と型硝子については、なかなか時代判定は困難ですが、いわゆるサンドブラストによる加工は、すくなくとも、大正期に入らないと作られていません。さらにサクラや、大小菊菱文のような加工は、型紙を使った技法で、大正から昭和初期ごろまでに流行った加工方法です。紐抜きは戦後も加工されていましたが、需要が落ち込んでしまって、もうその製造機械を探すのも苦労します。
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