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2023年10月

2023年10月28日 (土)

軽井沢夏の家(旧アントニン・レーモンド軽井沢別邸)

軽井沢夏の家(旧アントニン・レーモンド軽井沢別邸) 長野県軽井沢町 昭和8年竣工 令和5年10月見学

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 この建物を初めて訪れたのは、昭和30年代で、おそらく小学校3年か4年生の夏休みだと思います。当時、この夏の家は南ヶ丘にあって、日本火災海上保険の幹部用保養所でした。その管理人をしていたのが、私の遠い親戚夫婦でその夫婦の招きで毎年のように夏に軽井沢に遊びに行っていました。特に、小学校5年の夏休みには、近所に一軒家を借りて、祖父母が夏の間暮らしていたので、かなり長い間軽井沢に居た記憶があります。その間、浅間牧場、鬼押出、白糸の滝などの観光地や、近くの離山にも登ったりしていました。

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旧軽井沢に行くと、外国人向けの店が並んでおり、外国人がほぼ半数ちかく歩いていて、そこに馬に乗った外人が道路をどうどうと闊歩してまるで外国の観光地にいるようでした。外人向けに楽焼きといって、陶器に絵付けする店もありました。また、草津温泉に一泊旅行をしたとき、草軽電鉄に乗り、3時間かけて行きました。

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そんなこんなで、高校3年のとき、その頃、冬にスキー場だったところにあった民宿に、受験生が夏休みに長期滞在して勉強をすることが流行っていました。兄弟が多くそれほど裕福でない我が家は、親戚夫婦に頼んで、夏の家に居候することにしました。昭和41年のことです。この保養所は、幹部用だけあって、夏でもほとんど泊まり客がいませんでしたので、思う存分使うことができました。もちろん、主屋の部屋ではなく、増築した研修用の広い部屋の片隅で寝ていました。滞在しているとき、隣の別荘の管理人が訪ねてきました。今、オーナーは海外に行っているので、家の中を見せてくれるというのです。こぢんまりとした2階建ての建物でした。一階のリビングはお決まりの暖炉があって、雑然としていましたが、2階の寝室にいくと、青空のような無地のカーテンがすべての窓に掛かっているのが印象に残っています。その別荘のオーナーは、当時東北電力会長だった白洲次郎です。あとで、親戚夫婦の子息にそのことを話すと、よく、白洲正子さんが、夏の家を訪れて、母と世間話をしていたという話を聞きました。

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 さて、今回、夏の家が重要文化財指定になったことで、ペイネ美術館として、室内に絵を展示していたのを全て撤去して、建物の内部をできるだけ復原するかたちで公開することになりました。保養所として使っていた当時の記憶と、できるだけ創建当初にもどした現状とを較べて見ると、ほとんど変わっていませんでした。細部では、管理人室が増設されていたり、2階のもと設計室は、宿泊室としてドアを設けたりしていましたが、それももとにもどしていました。2階に上がるスロープは、この建物の中で、一番のアクセントになっていて、脳裏に焼き付いています。これが、建築学界で問題になったとは、思いもよりませんでした。

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ただ、タリアセンに移築した場所が、以前と大きく違うので、外から見ると、ずいぶん様子が違いました。南ヶ丘の時の建物は、高台にあり、南面が下がって、その下に保養所時代には長方形のプールがありました。プールの先にはゴルフ場のネットが貼られていました。現状では、下から見上げるような外観になっていません。なにか違和感を覚えます。
 レーモンドは、大正8年フランク・ロイド・ライトとともに来日し、昭和13年まで日本で仕事をし、アメリカに戻り、戦後昭和22年再来日し、昭和45年まで日本で設計事務所を開いていました。戦前20年、戦後24年、合計で44年間日本で仕事をしたことになります。レーモンドは日本を愛し、モダニズム建築を日本の伝統的建築に見いだしながら、新しい試みをしています。住宅の構造に「挟み梁」を採用したり、「芯外し」の手法を用いたガラス戸など、夏の家にも見られる手法をとりいれています。この夏の家は、コルビジェ案の剽窃だと建築界を賑わせた「蝶々屋根」になっています。それだけ話題を提供した建物だということを加味して重要文化財認定にいたったのでしょう。

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 レーモンドは昭和13年から戦後の昭和22年まで、アメリカで暮らしていました。アメリカ国籍をもっていたために日本にいられなくなったのでしょう。しかし、アメリカでは、焼夷弾の効果を実験するための日本家屋の設計をしています。戦後まだ焼け野原だった日本に再来日したときのレーモンドの心境はどうだったのでしょうか。それでも戦後24年間も仕事をした彼の心の内が理解できません。単に仕事をするために来日し、仕事ができなくなったのでアメリカに帰ってしまったということなのでしょうか。何か西洋人的な割り切り方をしていたとも思えるのですが。

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