工部省品川硝子製造所 愛知県犬山市明治村 明治10年頃竣工 令和6年10月見学
明治政府の振興策で国産の硝子工業育成の為に、品川に建てられた硝子工場のうちの1棟です。
試行錯誤の末、結局、国産板硝子の製造に失敗してしまいました。建物はその後製薬工場を経て、昭和44年明治村に移築されました。明治村では硝子工芸品の販売所などに使われていましたが、2024年5月から修理工事の作業中です。
明治村は、工事中の建物の内覧会を行うということなので、参加してきました。今回の修理部位に、建具と建具枠があったので、どういう修理を行っているのかを確かめたかったからでした。足場がかかった内部は撮影禁止でしたので、お見せできませんが、木製建具はすべて取り払われて、一部木部の補修や、新たに製作された建具が取り付け前の状況でした。ということは、以前嵌めてあった硝子はすべて撤去されたということでした。
明治村の建築担当者に聞くと、硝子はすべて当初のものではなかったので、今回の工事では、現代の硝子を嵌める予定ということでした。明治時代に作られていた手吹き円筒法のガラスは、海外のメーカーで今でも作られていますよ、と教えましたが、今ひとつ反応がありませんでした。明治村に移築するときは、レンガをひとつひとつはずして、新たに積み上げ、木製建具もそのまま移設したのに、硝子だけはどうして新しい材料を使用するのでしょうか。確かに、時間の経過で、硝子の破損は起きることですし、そのたびに硝子の入れ替えが行われたことは容易に想像できますが、しかし、今回の修理工事のコンセプトとして、創建当初の状態にできるだけ近づけるという考えがなかったのでしょうか。しかも、硝子はいわゆる三角パテによる施工ということでした。なにか文化財修理のコンセプトがちぐはぐな感じがします。建物は明治初期のレンガ造なのに、窓硝子はフロート硝子、しかも、木枠に三角パテで施工することになります。
“硝子職人の仕事のうち、いわゆる山パテの施工は技術と経験が必要な作業ですよ。”と若い女性の担当者に言うと、自ら取り付けを行うかのような言いぶりです。もう半世紀も途絶えてしまった技術が、そんな簡単にできるものなのか心配になりました。これは、修理後にパテ付けの仕上げを見に行かなければなりません。










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