映画

2008年12月18日 (木)

まぼろしの邪馬台国

Photo 宮崎康平著『まぼろしの邪馬台国』を読んだのは、高校卒業の頃だったようです。奥書の年号を見てみると、昭和42年1月24日が第一刷で、3月25日には第三刷にもなっていました。

たしか、卒業後のぶらぶらしている時期に買ったのだと思います。邪馬台国論争のことは、高校時代に他の本で大体の概略は知っていましたが、マスコミで取り上げたことで、新説かと思って興味をもったのだとおもいます。

買ってから、どこかへ出かけるときも必ず手にもって、電車などで読んだのだとおもいます。本屋の包み紙で本のカバーをしていたのが、手に持っていたところだけ破けていました。

そのころの学界での邪馬台国論争は、いはば膠着状態で、新しい証拠も新説も出ない状況でした。そんな時に、盲目のしかも在野の考古学者が新説を発表したので、マスコミはいっせいに取り上げたのでした。テレビのドキュメンタリーでも見た記憶があります。

Photo_2 私はその本を一気に読んだ記憶があります。しかし、その本に感動したのは事実ですが、それは、宮崎康平の生き様に心うたれたので、学説については読んでいくうちに、ちょっとおかしいのでは、と思うことがありました。案の定、実に意外な、何ともおかしな結論が導かれていました。学説としての論の立て方に錯誤があり、特に、言葉の意味について、論拠のない独断的な解釈が目につきました。

つまり、推理小説の謎解きとしては、おもしろくても、学問としての論の立て方は、当時高校生の私でさえ稚拙さが見えて、納得がいくものではありませんでした。

読み終わって、なーんだ! というのが感想でした。

しかし、宮崎康平という人の生き様は、すごいものがあります。そして、その夫をささえた和子夫人は、ほんとに目立たない、ただひたすら影の支えになっていた人だというのが言葉の間から見えてきます。

 

 

 

 

 

 

 

Photo_3 実は、大学生の頃、いつものように、茶房で煎餅をかじりながら、ぐだぐだしていると、突然、着物で袴をはいて、杖をついた人が入ってきました。私はひと目で、宮崎康平とわかりました。すぐそばには、和子夫人が手を添えていました。旧知の茶房のおじさんを訪ねてきたのでした。入口の席で、ひとしきり、おじさんと話をし、帰っていきました。

帰ったあと、あれが、宮崎康平だよ。と日下さんに話しましたが、まわりの人も、宮崎康平のことはまだ、あまり知られていないようでした。

今、映画が上映中だそうです。和子夫人を吉永小百合さまが演じています。あまりにも、役と本人の様子が似ています。しかし、私が見た和子夫人は吉永小百合さまほど華やかな人ではなかったような気がします。また宮崎康平役の竹中直人はずいぶんイメージが違います。

フィクションだといえばそれまでですが、和子夫人はほんとに目立たない人のようでした。吉永小百合さまとどうしてもイメージをだぶらせることはできません。

それで、映画は見ないことにしました。永遠のサユリストでいたいものですから。

2008年4月 8日 (火)

北京の55日

 義和団の乱を扱った映画に「北京の55日」があります。1963年上映ですから、小生が中学3年生のときです。主演は、先日亡くなったチャールトン・ヘストン。もちろん歴史スペクタル映画でした。義和団は、キリスト教徒と、外国人を追放しようとして蜂起した乱で、西太后は、それを利用しようとしたのでした。そして、外国人居留地を義和団が攻撃し、55日に渡る籠城の戦いが始まりました。日本を含む11ヶ国の外交官は一致団結して耐え、ついには日本を含む8ヶ国の軍隊の援軍が到着し、乱は平定され、西太后は西安へと落ちのびていった、というストーリーです。

もちろん、歴史スペクタルですから、一応歴史に則ってはいますが、かなりの脚色がはいっています。まず、籠城中で、11ヶ国の外交官を束ねて、中国に対抗したのは、アメリカ人のチャールトン・ヘストンでも、ディヴィット・ニーヴンでもありませんでした。日本の柴中佐(伊丹一三)(その当時はたしか十三ではなく、一三でした。)だったのです。映画では、単なる脇役でした。軍隊を数多く出したのは日本軍でした。その後、柴中佐は、欧米から勲章をもらっています。また、映画の端々に中国人蔑視の光景が見受けられました。いってみれば、文明と野蛮の対決といった単純化した映画でしたので、あまり評判の割には、評価は高くありませんでした。主役があのヘストンですから。

もっとも、1963年といえば、中国は毛沢東万歳の頃で、国交のないアメリカが、現地でロケをすることもできようはずはありません。その点「ラストエンペラー」は実際、紫禁城でロケをしていますから、全然、迫力が違うのはいたしかたありません。でも西太后は、実際の写真とそっくりな人をキャストとしていました。

実際の歴史では、義和団の乱で、日本を含む西欧列国は、賠償金をとり、ますます、清国は疲弊していきました。現に、義和団の乱鎮圧後、連合軍による美術品の略奪がはじまり、中国の美術品が海外に流れ、とくに、日本の山中商会、龍泉堂などが暗躍して、戦前の大倉集古館はそのころ蒐集した美術品であふれていました。

坊主頭で、詰め襟をきて、銀座のロードショー専門の映画館で、見たこの映画は、私にとって衝撃的でした。ロシア公爵未亡人の役ででていた、エヴァ・ガードナーです。白い胸の開いたドレスを着て画面にでて来たときは、唯々唖然としました。こんな美人がいるなんて。しかも、胸の谷間に香水をさらりと塗っている仕草は、もうたまりませんでした。おもわず、その胸の谷間に引き込まれそうでした。下町のハナタレ小僧が見るもんじゃないものを見たという衝撃です。これが、この後の小生の人生に少なからず影響を与えたのかもしれません。

映画のパンフレットを買ったはずなのですが、それをお見せしようとおもいましたが、見つかりません。もっとも、45年前の話だもの。リンクで勘弁してください。

そんなわけで、今回は、挿図ナシになりました。

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