硝子

2022年10月 7日 (金)

旧須藤邸 色硝子・型硝子・加工硝子編

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 旧須藤邸にはステンドグラス以外にも戦前のさまざまな板硝子がはまっています。
まずは、色硝子から。大正後期に増築されたとされる奥座敷の建物の中の風呂場周りにあります。
まず、廊下と風呂場の間の引き違い戸

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廊下の突き当たりにある引き違い戸

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風呂場の中の引き違い戸

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そして、主屋からの廊下の引き違い戸にあります。

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色硝子は赤・緑・黄・青の4種類と結霜硝子を組み合わせています。その内、青の硝子にはサクラの模様を抜いたサンドブラストを施しています。さらに、廊下の小さな青の色硝子の1カ所は、サクラではない模様がサンドブラストしています。あとで、写真を見てみると、透明の硝子には“大小菊菱文”の模様入りケシガラスがあるのを発見しました。風呂場周りの窓は、いわゆる“山パテ”によるガラスの取り付け方法をしています。

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次に型硝子ですが、国産のモールをのぞいて、ほとんど舶来の型硝子のようです。
サロン入口の上が半円のドア

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サロンの廊下のランマ

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2階の窓

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1階サロン入口の引戸は、国産のモールよりさらに幅の狭いストライプ柄で、ステンドグラスで使われるCode(コード)と言われる型模様のようです。

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最後に加工硝子には紐抜きと絵柄のサンドブラストがありました。
まずは、紐抜きから2階の窓に”蕨木爪”があります。

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1階風呂場の窓の下部には“角丸”と“子持ち木爪”があります。

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1階の居室の引戸他、サロン2階の吹き抜け部分にある引戸など、ランマも含めて、“内丸子持”という模様が全般的に使われています。大判のガラスの加工は、板そのものの製造と製造機械の関係でおそらく戦後の加工とおもわれます。

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その他、居室の座敷窓のストライプ柄

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2階の窓は花模様の図柄のサンドブラストが2カ所あります。

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さらに、廊下の照明器具の傘にも模様入りケシガラスと思われるガラスが使われていました。

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色硝子と型硝子については、なかなか時代判定は困難ですが、いわゆるサンドブラストによる加工は、すくなくとも、大正期に入らないと作られていません。さらにサクラや、大小菊菱文のような加工は、型紙を使った技法で、大正から昭和初期ごろまでに流行った加工方法です。紐抜きは戦後も加工されていましたが、需要が落ち込んでしまって、もうその製造機械を探すのも苦労します。

2022年9月21日 (水)

イッタラ展

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 私が北欧デザインを知ったのは、大学で受けた“デザイン論”という授業からでした。先生は、当時、金沢美大の教授だった藤森健次先生でした。早稲田の美術史の傾向からはずいぶんと外れた授業内容でした。早稲田の美術史は、伝統的には、文献と実物を両輪のように研究するといわれ、むしろ、文献を重要視する傾向にあったようにおもいます。ところが、藤森先生は、スライドを多用し、さまざまな分野でのデザインについて見せてくれました。印象にのこったのは、先生の奥さんが北欧の人で、その洋服のスライドで、北欧のテキスタイルを見せたことでした。他の美術史の授業と違って、いつも新鮮な期待がありました。また、当時大森にあった「各務クリスタル」の工場見学。益子の窯元(しかも島岡達三窯)の見学など、実際の現場に連れて行ってくれました。
そして、私の義理の兄が、北欧家具の輸入商社に勤めていた関係で、北欧家具が家の中に増えてきました。時は、バブルのはじまった頃、同年代の仲間は、稼いだお金の使い道を探して海外旅行、車、ゴルフと遊ぶためにお金を使っていました。私はというと、ひたすらすぐ読みもしない文献を買いあさっていました。リタイアしたときに使えるようにといった壮大で、無謀な計画からでした。
その頃、船橋に“イケア”という家具のスーパーのような店がオープンしました。大きな倉庫の中の棚に、梱包した家具が置いてありました。それを持ち帰り、自宅で組み立てていました。北欧家具のリーズナブルで、シンプルなデザインが新鮮な感覚に感じられました。
そのイケアの店の中に“イッタラ”の硝子器の展示コーナーがありました。フランスのバカラのような鉛ガラスで豪華なカットの入った器とちがって、実にシンプルで使い心地のよさそうなデザインでした。しかも、調べて見ると、当時、4人のデザイナーがどの器をデザインしたかを箱に表示していました。いわゆるガラス器メーカーでは、よほど有名な作家でない限り、誰がデザインしたかは見せず、自社ブランドとして売り出していました。イッタラはデザイナーがそれぞれ個性あふれるデザインをし、デザイナーの名がわかるガラス器を発売していました。値段も手頃なので、何度か通って、購入しました。それが、現在所有の3セットです。

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KALEVA(Tapio Wirkkala)タピオ・ウィルカラ

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UNIKKO((Tapio Wirkkala)タピオ・ウィルカラ

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ARKIPELAGO(Timo Sarrpaneva)ティモ・サルパネバ

その当時は、他に
カイ・フランク(Kaj Franck)
アルヴァ・アアルト(Alvar Aalto)
アイノ・アアルト(Aino Aalto)
のデザイナーがそれぞれのブランドを出していました。

今、イッタラのサイトを見ると、
オイバ・トイッカ(Oiva Toikka)
ヘイッキ・オルヴォラ(Heikki Orvola)
アルフレッド・ハベリ(Alfredo Habeli)
クラウス・ハーパニエミ(Klaus Haapaniemi)
の作品が売り出されているようです。

今回の、Bonkamuraザ・ミュージアムで開催された展覧会は、イッタラの歴史だけではなく、フィンランドのガラス工芸の全てにわたった展示でした。学生時代、藤森先生から繰り返し北欧デザインの素晴らしさを教えていただいた記憶がよみがえるようでした。図録を見ると、先生はその頃、フィンランドデザインを普及させるべく日本で奔走していたそうです。
そんなこんなで、今回の展覧会で購入したのは、まだ所有していない、アルヴァ・アアルトのアアルト ベースとアイノ・アアルトのコップをゲットしました。

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アアルト ベース

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アイノ・アアルト

その他に、今、使っている小鉢、色ガラスのシンプルなコップなどを所有しています。普段使っていても全然飽きが来ないデザインです。あまり思い入れが過ぎると、それぞれのデザイナーの作品がほしくなります。オ---ット!!、くわばら、くわばら、私はコレクターにはならないと誓っていますので。

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2022年4月 9日 (土)

日本近代の板ガラスから立花大正民家園へ

日本の板ガラスの製造は、実質的には明治42年(1909)旭硝子によって初めて市場にでました。それまでは、欧州からの輸入に頼っていました。
そのため、板ガラスの輸入増加は外貨残高を圧迫し、国家的な問題となっており、国産品の製造が渇望されていました。
やっと、製造された板ガラスは、手吹き円筒法でした。しかし、外国では、ラバースによって、明治38年(1905)に機械吹き円筒法が開発されていました。

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旭硝子は、その新技術を大正3年(1914)に北九州戸畑の牧山工場に導入し、生産を開始しました。

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その後、新しく設立した日米板硝子は、大正5年(1916)に開発されたコルバーン法をいち早く導入し、大正9年(1928))には、生産を開始したのです。

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コルバーン法


このような、急激な発展は、大正3年(1914)第一次世界大戦によって欧州での板ガラス生産がストップしたことによります。数年後、欧州で生産が復興する頃には、日本の板ガラス生産は、アジアに輸出するまでに発展していました。旭硝子は、昭和3年(1928)には、フルコール法を導入し、生産力を増強していったのです。

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さて、このような日本において板ガラスの普及状況を見て、明治以降、戦前の建物に嵌まっている板ガラスを見てみると、その板ガラスがどのような方法で作られていたのかがわかると、その建物の歴史や建築年代がわかるようになるのです。もっとも、板ガラスは割れ物ですので、煩雑に入れ替えがあります。また、建物の改修で、取り替えられることも考慮にいれなければなりません。
そこで、板ガラスの製造法を目視によって、判定できないかと考えてきました。数多くの近代の建物に嵌まっている板ガラスを観察していくと、ある程度の判断がつくようになりました。


たとえば、手吹き円筒法の板ガラスは、不規則なゆがみ、多数の泡、また、斜めに線がはいるのが特徴です。この斜めの線はおそらく円筒に吹いたとき、吹き竿を回しながら吹くので、円筒にねじれが生じた痕跡のようです。

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手吹き円筒法のガラス



機械吹き円筒法になると、不規則なゆがみとともに、長く延びた泡が目立ちます。また、まっすぐに円筒形に伸ばすので、手吹きのように斜めの線は現れません。

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機械吹き円筒法のガラス



コルバーン法、フルコール法では、規則的なゆがみ、つまり、板ガラスが柔らかいときにロールにはさんでのばすので、平行なゆがみがでます。また、泡は延びることはありません。

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コルバーン法あるいはフルコール法のガラス

これをふまえて、立花大正民家園(旧小山家住宅)に嵌まっている板ガラスをみてみることにしましょう。この建物は大正6(1917)に建てられています。

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その後、一部の改修があったようですが、建具とガラスは、ほぼ創建当初のもののようです。管理人の老人に聞くと、5~6枚くらい在庫があったようですが、管理人はこの家の親戚で、小さい頃から出入りしていたようで、子供がガラスを割ったこともあって在庫のガラスで補修はおこなわれていたようです。まず、入側縁南の硝子戸には、長く延びた泡が散見されます。また、不規則なゆがみも確認できます。ということから、機械吹き円筒法による板ガラスと判定できます。

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入側縁南の硝子戸

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まさに、この建物の創建時とみることができます。便所のスリガラスには、長く延びた泡がありますが、その泡の中は透明になっています。つまり、スリの加工はサンドブラストではなく文字通りガラスの表面を擦って作ったことがわかります。

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スリガラスの泡 擦ったため泡が削れている


浴室には、型ガラスが2種類と結霜ガラスがはまっています。この型ガラスの模様は、国産ではなく、舶来とおもわれます。結霜ガラスはその他の建具にも嵌まっていますが、日本では、結霜ガラスの技法は、もう明治初期には確立されていたようで、電球の傘に使われていました。

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その結霜ガラスは大々的には、旭硝子、日本板硝子が板ガラスの生産を始めて間もなく作られていたようです。しかし、その後昭和に入って、型ガラスの生産がはじまると、急激に縮小していったようです。

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結霜ガラス(上下)


室内の引き戸には、いわゆる紐抜加工をしたガラスがほとんどの建具に嵌まっています。この加工法は、厚い紙をガラス全面に貼り、模様を切り抜いた後、サンドブラストによって、抜いた部分に砂を吹き付け、消し加工をほどこす方法です。

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子持ち木爪

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木爪組紐

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中消し子持ち木爪

この加工法は、ガラスの大きさによって模様の位置が決まり、すべてガラスの現寸に合わせた個別加工になりますので、大変手間のかかるガラスになります。

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サンドブラスト機


数十年前までは、その加工を専門にやる業者がいましたが、もう、探すのに苦労するほどに少なくなっています。その加工屋の出している見本帳によると、それぞれに名前がついています。

まだまだ、調べなくてはならないことがありますが、この建物は大正時代のものとはいえ、機械吹き円筒法のガラスの使用例としては注目に値します。というのは、この機械吹き円筒法はもう、その設備が途絶えていますし、その技術もありません。今でも細々と行われている手吹き円筒法やフルコール法とは違って、設備がないため復元できません。これしかないということです。

2022年3月26日 (土)

厚木市古民家岸邸の板硝子調査報告

2011年12月25日付けのブログにも掲載していますが、今回あらためて訪れてみました。
古民家岸邸(https://shunjudo.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-de8c.html)
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新しく写真を撮り直すとともに、どんなガラスが嵌まっているのかもう少しくわしく見ていこうとおもいます。

まずは、模様入りケシガラスの種類について見てみましょう。
蜀江文は、1階広間の内障子や、引き戸などに嵌まっていました。また、土間の色硝子の嵌まった窓にもありました。
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1階広間内障子 蜀江文
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1階土間ランマ 蜀江文

菊菱と一応名付けておきますが、1階の次の間の内障子と便所の窓にあります。
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1階広間次野間 菊菱文(仮称)
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1階便所 菊菱文(仮称)

また2階の内障子には東側の和室と西側の和室には菊菱、中の和室には大小菊菱文と名付けたガラスがあります。
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2階和室内障子 菊菱文(仮称)

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2階和室内障子 大小菊菱文(仮称)
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いわゆる紐抜が2種類、子持ち木爪と楕円抜き、と便所の窓に山を切り抜いた模様、そしてボカシも何カ所ありました。
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1階障子 子持ち木爪

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1階障子 楕円抜き

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1階便所 山型

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1階引き戸 ぼかし
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2階廊下引き戸 ぼかし

結霜ガラスも、1階では便所の窓、廊下の窓などに使われていますが、特に2階西側の赤色ガラスとの市松模様のガラスに多用されています。
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1階便所引き戸 結霜

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1階便所窓 結霜

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1階廊下引き戸 透明硝子と結霜硝子の市松

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1階廊下ランマ 赤色硝子 スウィトピー 結霜硝子

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2階女中部屋入り口 結霜


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2階西側窓 結霜硝子と赤色硝子の市松

加工ガラスはその他にスリガラスがあるぐらいでしょうか。

色ガラスは、1階土間のランマに黄色が2枚、青が1枚、緑が2枚はまっています。赤の色ガラスは、1階では便所、廊下のランマにあります。
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1階土間ランマ 黄、青、緑の色ガラス

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1階便所窓 赤色ガラス

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1階廊下ランマ 赤色ガラス

2階は女中部屋と、洋室の引き違い戸の上部に赤色ガラスがあります。
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2階女中部屋ランマ 赤色ガラス


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2階洋室引き戸上部 赤色ガラス


2階では、西側の窓に赤色ガラスと結霜ガラスが市松に嵌められています。
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型硝子は、2階廊下の下部の引き違い戸はほとんどが結霜ガラスですが、おそらく補修して代わりに嵌めた型硝子が3種類ありました。
それは、「つづれ」日本板硝子製 1988年、「しげり」旭硝子製 1964年、「スウィートピー」日本板硝子製 1970年のようです。
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2階廊下 補修ガラス 「つづれ」

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2階廊下 補修ガラス「しげり」


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2階廊下 補修ガラス「スウィートピー」


また、洋間のドアに嵌まっているガラスは、おそらく舶来の型でしょう。いくつか見た記憶がありますが、名前、生産地は不明です。
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透明ガラスは、平行に波打つガラスが見えないこと、細くのびた泡が見られること、不規則なゆがみがあることなどを勘案すると、ラバース法(機械吹き円筒法)による製品とおもわれます。
手吹き円筒法のような、斜めに筋が入るガラスが見られないこと、泡の入り方が少ないことと、ほぼ細長く入っていることから、手吹き円筒法ではないとおもわれます。
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母屋は明治24年(1891)に建てられていますが、その後、明治35年(1902)に母屋東側部分を、大正12年(1923)から昭和初期に母屋西側部分を増築しています。
ということから考えると、模様入りケシガラスなど、さらに透明硝子もおそらく、関東大震災後の改修時に入れ替えた可能性があります。その頃ならば、日本板硝子がコルバーン法で、板硝子は製作されていましたが、旭硝子はまだ、ラバース法で製造していたからです。
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もちろん、色ガラスは舶来品でしょうが、よく見ると、この色ガラスには、ほとんど泡もゆがみも見られないのです。製品としては、かなり進歩したものようです。
それぞれのガラスは、建物の増改築などの機会に部分的に代えられたのでしょうが、おおむね、大正から昭和初期のガラスが数多く嵌まっているようです。
特に、模様入りケシガラスでは、蜀江文、菊菱、大小菊菱の加工技術がすばらしく、相当練度の上がった製品のようにみえます。
それにしても、これだけ戦前の板硝子が種類豊富に残されているのは、賞賛に値します。
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2022年3月11日 (金)

蔵の宿 の色板硝子と模様入り板硝子

  少し暖かくなってきたので、桜が咲く前に出かけてきました。今回は、一応、宿にはなっていますが、個人の邸宅です。

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しかも、元県会議員をしていた人の家で、20数代続く名家でした。敷地内の建物は築200年の母屋、築180年の蔵が2棟、そして明治期の洋館です。数年前に、母屋と蔵の1棟の改装工事をして、外観も一部変更し、内部は、できるだけ変更しないようにしながら、使い勝手のいいように改修をほどこしているようでした。
さて、その母屋の建物の内部に、色板硝子と模様入り板硝子がはまっていました。家主のご老婦の話によると、元は便所の窓硝子に使われていた硝子だったようで、それを、玄関の内側の入り口の欄間と、座敷と座敷の間の障子の欄間、そして、廊下の突き当たりのはめ殺し窓に移して新しい建具に嵌めたとのことです。
ですから、もともと、色板硝子が市松模様に配置されたのは、つい最近の改修時のことのようです。
それでは、まず、玄関内部入り口欄間の硝子から、

色板硝子は、紫、緑、赤、黄、青 の5色、模様入り板硝子は、格子状と花と葉の模様の2種類。

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座敷の欄間は、色板硝子はなく、模様入り板硝子が斜め格子状と縦横の線を入れた模様の2種類が主ですが、1枚だけシンプルな斜め格子が1枚ありました。

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そして、廊下突き当たりのはめ殺し窓は、欄間に3枚横に入った窓とその下に縦4段横3列のはめ殺し窓があります。
上の欄間の中央には花模様の板硝子があります。下の段は、青、黄、赤、緑、紫の5種の色板硝子、模様入り板硝子は斜め格子1種類です。

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硝子を詳細に見てみると、細かな泡のある硝子や、かなり大きな泡も散見されました。どうもこれは、手吹き円筒法による板硝子のようです。とすると、おそらく、この板硝子は、大正時代にまでさかのぼる可能性があります。
いづれにしても、これらの模様入り板硝子の模様は、今まで見たことのないものでした。最近、手に入れた見本帳(おそらく戦後すぐのもの)を見ても同じ図柄がありません。この模様を作った業者はいったいどこにいるのでしょうか。いまだにわかりません。
それにしても、色板硝子と模様入り板硝子を使った民家の例がまたひとつ増えました。まだまだ、発見することができるかもしれません。
大変貴重な硝子であることを、是非、ご理解していただきたいとおもいます。

2017年10月 7日 (土)

旧沼津御用邸の板ガラス

 大変ご無沙汰です。やっと書くネタがみつかりました。その間、幾度となく出かけてはいたのですが、ネタになりそうな話題がみつかりませんでした。

先週、毎年恒例の業界の社長が集まる旅行で箱根に一泊してきました。私は、例によって、ゴルフはキャンセルして、ちょっと足をのばして、沼津に行ってまいりました。

目的は、旧沼津御用邸の建物に嵌っている板ガラスを見ることでした。その板ガラスについて事前の情報がないままの訪問でしたが、新しい発見がありました。

まずは、沼津御用邸の簡単な紹介から。御用邸は、現在、西付属棟と東付属棟が残っています。中央に位置する本邸は、明治26年大正天皇の療養施設として建てられましたが、昭和20年7月の空襲で焼失してしまいました。
西付属棟は、明治23年頃、旧川村純義伯爵の別邸を借り上げ、明治39年に、皇居賢所附属建物を移築して、昭和天皇の御用邸としました。その後、御車寄、御浴殿などを増築し、大正11年に玉突所等を増設し、ほぼ現在の状態になりました。

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東附属棟は、明治36年、昭和天皇の御学問所として、赤坂離宮の東宮大夫官舎を移築して、現在にいたっています。

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昭和44年11月、宮内庁から大蔵省に移管され、昭和45年には、大蔵省から沼津市に無償貸与、平成5年に、沼津市に払い下げられました。沼津市は、西付属棟を平成5~7年にかけて大規模修復し、東附属棟も平成8~10年にかけて大規模改修し、公開をしています。

まず、西付属棟から拝観です。玄関から窓ガラスを見ると、手吹き円筒法によるゆがんだ板ガラスが目にはいりました。廊下を歩いていくと、ほとんどがこのガラスで、ローラーの跡のある普通板も、フロートガラスもほとんど見つかりませんでした。

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しかも、ほとんど、割れたガラスは見いだせませんでした。

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中庭の周りをぐるっとめぐるように建物は建っていますが、建具には、パテ止め、いわゆる山パテと、四方溝にガラスを入れる建具があるようです。

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よく見ると、ローラーによる並行のゆがみのあるガラスがありました。おそらくこの建物は、大正11年頃の改修時に入れた普通板と思われます。ちなみに、日本板硝子は大正9年からコルバーン式の連続製法で、生産していました。

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東附属棟は、内部に入れませんでしたが、外観を見ると、パテ止めの建具が数多くありました。

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 さて、最初の疑問。これだけのガラスがはいっているのに、ガラスの割れが見つからなかったこと、しかも、ガラスの補修は当然、しているはずなのに、まったく新しいガラスが嵌っていないこと。

近代建築のガラスを今まで見て回ってきましたが、ガラスのヒビ割れもないのは、見たことがありません。たしかに、平成5年から10年にかけて改修工事をしたばかりということもありますが、それ以前の補修の痕跡が見つからないのです。

現地のボランティアに聞いてみると、このガラスはドイツ製です。という答えしかでてきません。そこで、平成の時の改修工事報告書を見てみることにしました。
『沼津御用邸記念公園西付属棟改修工事記録報告書』 1996年10月 監修 工藤圭章 沼津市発行 によると、開園後に取り替えられた建具は、元にもどし、修復可能なものは、洗い工事とした。ガラス戸は、ガラスの納まりが溝落としと、パテ押えの2種類あるが、そのガラスは、”手造りガラスのドイツ製、ステンドグラスに使用するレストLタイプのガラス”が最終的に提案された。 とあります。

このレストLタイプのガラスとは、いったい何なのでしょうか。ヒントはドイツ製のステンドグラスメーカーの製品だということです。ドイツのステンドグラス板メーカーといえば、lamberts(ランバーツ)社です。そのサイトを見てみると、RestorationーGlasses(Mouth-blown window glass) という項目があります。つまり、復元ガラス(手吹き円筒法による窓ガラス)ということになります。

しかし、ランバーツ社は、このガラスをレストLタイプと言っていません。報告書の執筆者が、改修工事をしたガラス工事業者の言葉を調べもしないで書いたのでしょうか。とくに、改修工事報告書では、主要資材概算表に“ガラス窓 215.0㎡”と書いてあるだけです。どこのメーカーの材料をどの部分に使ったかを詳細に書かなければ、後世にまた、改修工事があったときに、どの部分をいつ補修したのかがわからなくなります。もっと、工事報告書の精度をあげていかなければなりません。

それにしても、従来は、改修工事で、ガラスの入れ替えは、実にぞんざいに扱われてきました。周りがゆがんだガラスなのに、現代の最先端技術の結晶であるフラットなフロートガラスを入れ替えたら違和感があるのは当たり前です。それに気が付いて、この建物にドイツ製のガラスを採用したのは、これからの改修工事の手本となるものだとおもいます。

惜しむらくは、どこが当初のガラスで、どこを入れ替えたのかがわからないことです。これは、正確な報告書をつくる技術者がいないことが原因です。

2016年11月13日 (日)

九州、滋賀、京都の旅(その1)

ひさしぶりに、3泊4日の長い旅行にいってきました。
例によって、板ガラスと仏像探訪の旅です。
11月3日
羽田より久しぶりの飛行機で、鹿児島へ。飛行機はどうもなじめません。まずセキュリティで必ず引っかかります。そのたびに、ベルトから財布まで外に出し、何回もゲートを通らなければならないからです。さらに、機内では、常にアメをなめないと耳の気圧を抜くことができません。おまけに、新幹線とくらべて、座席は狭いし、ガマンの2時間でした。
鹿児島は、鹿児島歴史資料センター黎明館で開催されている「八幡神の遺宝」展を見学。
目玉はやはり、大分・奈多宮の八幡三神像です。以前にみたことはありましたが、伝神宮皇后像の、“無眼” をもう一度確かめることができました。ほぼ同時期の,伝比賣大神像、僧形八幡神像の眼の彫り方と比べてみても、あきらかに、眼を彫っているとは思えませんでした。まして、眼をつむっているとするには、あまりにも無理があります。

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そして、歩いて、鹿児島第一の百貨店山城屋の7階にあるレストランへ向かいました。ところが、その日は鹿児島市内は“おはら祭り”で、主要道路を封鎖して、各町内の踊り手が行進するという大イベントの最中でしたので、レストランは、中に入るのに、大行列で、レストラン入口は人でごった返していました。
このレストランの入口に最近、松本ステンドグラスが製作したステンドグラスが嵌まっている、というのをNETで見て、行ったのでした。鳳凰の模様のなかなかいいデザインのステンドグラスが入口の両脇のFIXに嵌められていましたが、写真もとることができず、すぐさま退散。この山城屋のオーナーの岩元家には、小川三知の作品がはまっているのですが、非公開。この食堂のステンドグラスも小川三知風にデザインしてつくられたようです。
鹿児島中央駅から、新幹線で久留米へ、さらに鹿児島本線で、原田へ、そこからタクシーで、九州歴史資料館へ。

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「八女の名宝」展を見学。仏像は、谷川寺の仏像が展示されていました。9世紀の薬師如来立像が注目です。
住宅造成地の中を三国ヶ丘駅まで歩き、西鉄で、博多へ。

11月4日
博多より、電車で、新飯塚まで、およそ50分、そこからバスで10分ほどで、“旧伊藤伝右衛門邸”へ。

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玄関に入って右には。書斎、左に応接間があります。両方とも、窓のランマに同じ図柄のステンドグラスがはまっていました。中央に四角の透明ガラスに面取りし、各隅には、四角垂のガラスをはめています。色ガラスは蛍光のはいった黄緑色をしています。イギリス製といわれていますが、確かにオパールセントグラスを使っていません。

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博多にもどって、地下鉄で、箱崎九大前で下車、九州大学箱崎キャンパスへ。このキャンパスはほぼ移転がおわっており、古い建物のみ残して、あとの建物は取り壊している最中でした。その残す建物のうち、旧工学部本館の建物を見に行きました。玄関ポーチの天井にステンドグラスが嵌まっていました。ただ、ほこりをかぶったままで、クリーニングをしていないので、きれいにみえませんでしたが、

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玄関のランマのステンドグラスは、なかなかのものでした。

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地下鉄で、馬出九大病院前で下車すると、すぐに、九大病院にはいります。一般の患者は、病院のほうに向かっていきますが、九大医学研究院基礎研究A棟は、反対の方角にあります。この建物は実際に研究室として使われている建物です。研究生が出入りしていました。その建物の玄関に入ると、2階まで吹き抜けになったホールがあります。そのホールの2階の壁にステンドグラスの嵌まった開口部があります。

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また、多少デザインが違いますが、1階入口の両脇の窓にもステンドグラスがありました。

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しかし、このステンドグラスの嵌まっている部屋は使われていないようで、部屋の照明をしていないので、色がよくでていません。折角のステンドグラスなのに、そのよさを見せないのは、もったいない。ここのステンドグラスは内部ということもあって保存がよく、また、すばらしいデザインをしています。

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博多にもどって、特急ソニック号で、別府へ。駅から歩いて10分ほどのところに、別府市公会堂があります。ここの階段の踊り場にステンドグラスがありました。夜空に雲というデザインです。

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電車で大分に着き、今日はここで、泊まり。

その2に続く

九州・滋賀・京都の旅(その2)

11月5日
朝、レンタカーにのり、高速道路で、臼杵へ。臼杵石仏を拝観。ここは、2度目です。以前も修復後でしたので、あまり新鮮な印象がありません。

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ただ、以前見落としていた、満月寺をみてきました。何かこの谷間の地形がとても気になりました。

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車は、予定を変更して、以前見たことがある犬飼石仏、管尾石仏をスルーして、さらにその先の緒方宮迫石仏へ行くことにしました。
まずは、宮迫東石仏。

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そして、宮迫西石仏。

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車は、大分方面へ向かい、高瀬石仏へ。ここも以前来たことがありましたが、石窟といっても、岩がほんの一部しか残っておらず、平地に残っていた大きな岩を彫っただけのようで、当初の地形の想像がつきません。数年前改修をしたようですが、石仏の彩色も昔のようですし、どこを補修したのか、修理工事報告書をみてみないとわかりません。

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つぎに、大分市歴史資料館へ、「ほとけの王国ー大分の仏像」展を見学。
この展覧会の出品の中で、大山寺の普賢延命菩薩坐像、

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金剛宝戒寺の不動明王坐像

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が“半跏趺坐”でした。大山寺像は10世紀ですが、金剛宝戒寺像は平安後期の半跏趺坐像なので、何か理由が考えられる像ではあります。
市内方面へ向かい、岩屋寺石仏へ。ここは、ほとんど崩落して、尊名もよくわかりませんが、十一面観音立像だけは、かろうじて判別できました。

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すぐ近くの大分元町石仏へ。ここは覆い屋があり、保存も行き届いていました。その石仏の横の石仏は、かなり剥落してほとんど形を残していませんが、一具のものとしていいのでしょう。

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車を返すにはまだ時間があったので、急遽、喜春館へ、ここは、帆足家本家という造り酒屋の建物を、蔵をレストランや、喫茶店にしています。また、本屋には、洋服の展示即売をしており、各部屋に洋服を飾っていました。

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窓ガラスには、手吹き円筒法によるガラスが嵌まっていましたが、一通り室内をみて、庭を歩いていると、色ガラスらしきガラスが嵌まっている建具がありました。また、室内にもどって見ると、便所の廊下に青い色ガラスがはまっていました。

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こんなところに、色ガラスを使うとは、なかなかしゃれています。これは、新しい発見で収穫でした。
車を返して、電車で小倉へ、さらに新幹線で新大阪へ、今日は茨木で一泊。
11月6日
朝、京都で、荷物を預け、湖西線で、大津京へ。時間があるので、近江神宮へ。

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この近くにはよく来ているのに、今回が初めてです。例の崇福寺塔跡発見の舎利容器が見られると思いましたが、宝物館の開館時間には早すぎで断念。大津市歴史博物館「新知恩院と乗念寺」展へ。乗念寺は、10世紀の聖観音立像、新知恩院は、最近注目の釈迦涅槃像が注目でした。
そして、滋賀県立近代美術館「つながる美・引き継ぐ心」展へ。旧琵琶湖文化館に寄託されている仏像が数多く出品されているとおもいましたが、気になったのは、聖衆来迎寺の銅造薬師如来立像、若王寺如来立像、正法寺帝釈天立像、長福寺阿弥陀坐像、伊崎寺不動明王坐像くらいでしょうか。
正法寺帝釈天立像は、条帛に天衣をして、衤蓋襠衣には置口をつけています。この着衣方法だと、衤蓋襠衣は首回りを大きく開けた盤領で、頭からかぶる衣のようにみえます。

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伊崎寺は、以前安土城博物館でも出品されていましたが、あらためて“半跏趺坐”と確認しました。長福寺阿弥陀如来坐像は、いわゆるナタ彫り像ですが、“結跏趺坐”になっています。眼も、眼球のふくらみだけの表現のようです。
京阪電鉄で、京都市役所前で下車。北に向かって歩いて行くと、京都ハリストス正教会があります。今回はじめて、京都非公開文化財特別公開に参加した建物です。東京のニコライ堂と同じくロシア正教会の建物で、教会の祭壇がほかのキリスト教会とは、違った祭壇をはじめてみました。イコンはこのように飾るのかとはじめて経験しました。

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南下して、イノダコーヒー本店へ。中にはいると、休日の昼時で大混雑。入口横の扉のランマのステンドグラスの写真をとって退散。

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寺町通の中に、今回非公開文化財公開寺院である、誓願寺、安養寺があるのですが、スルーして、四条河原町の近くにある“築地”という喫茶店へ。

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2階に通されると、カウンターの横の裏の出入口に色ガラスの嵌まったガラス戸がありました。戸の前に椅子がおいてあり、扉も半開きなので、戸をしめて、椅子をどかしてもらえないかと、ウェートレスの学生アルバイトらしきお姉ちゃんに頼むと、動かせません。そこに入らないでください。とマニュアル対応をされ、しかたなく現状の写真でご勘弁ください。

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まだ時間に余裕があったので、知恩院へ、

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三門も今回の公開なので、急な階段をあがり、三門上の釈迦像と十六羅漢像、壁画を拝観。中は照明がなく、壁画もほとんど見えない状態でした。持参した懐中電灯で、壁画を照らすと、江戸末期から明治にかけての落書が多数ありました。ほんとはこうゆうのもしっかりと見せるのが必要なのでしょう。

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そして、近くの青蓮院門跡へ。そういえば、ここの前はよく通るのに、初めての拝観でした。

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京都駅へもどり、帰路の旅へ。

2016年10月19日 (水)

福井県・高岡・富山の旅(3日目)

富山は、まず、ライトレールという、市電のような電車で、「競輪場前」駅下車。

ちょっと、開館時間にははやいので、近くの富山港展望台へ。

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ここからは、富山港の全貌と、東岩瀬の町並みの様子がよくわかりました。

東岩瀬の町並みの中にある北前船廻船問屋「森家」はこの町並みでの一番大きな住宅のようでした。

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中の小さな庭の縁側に嵌まっているガラス戸のガラスは、手吹き円筒法による、泡の入ったガラスが多く嵌まっていました。建物は明治11年に建てられているので、おそらく創建当初のガラスかもしれません。

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富山駅にもどって、バスで富山市民俗民芸村へ。ここには、江戸期から明治の頃の民家を移築して、展示施設として利用している施設群です。

その中のひとつ、富山市陶芸館は、明治27年に市内で建てられた豪農の館で、昭和55年に移築し、全国各地の民藝陶器と呼ばれている焼き物が展示してありました。

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と、廊下の引き戸を見ると、模様入りのケシガラスが嵌まっていました。

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これは、どうもガラスに貼った紙を切り抜いて、サンドブラストをかけたガラスのようです。パターンは殆ど一緒のようですが、ケシが非常に薄い加工をしています。

もうひとつ、4連の引き戸に模様入りケシガラスがありました。

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この模様は、高橋是清邸、大阪・泉布観にある模様と同じです。型紙は違うようですが。

ここからバスには時間がありすぎなので、路面電車のある駅まで歩き、富山城にある富山市郷土博物館へ。この博物館の建物は、一見天守閣風の建物ですが、この建物の場所は門のあった石垣の上に建てられたもので、よくみると、実におかしな建物になっています。

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よくこんな、時代考証を無視した建物を造ったのでしょう。

富山市は、ガラス工芸に力を入れ、ガラス工芸をテーマに市ぐるみで普及に取り組んでいるようです。そのひとつの目玉が、去年開館した富山市ガラス美術館です。

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設計は、あの隈研吾です。図書館と美術館の機能を一緒にした建物です。

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6階建ての建物の中は、木の板とガラス、鏡をふんだんに使い、吹き抜けの空間が6階まであり、エスカレーターでつながっています。建物の中がまるで、ひとつの空間のようで、図書館部分は開放的な空間になっていて、本を読むにはちょっと落ち着かないかな、と思います。そのために、美術館の展示スペースが、階をわたってあり、エレベーターで行き来しなければならないのは、使い勝手が図書館の方を重点的に意識した設計なのかなと思います。
展示品のガラス工芸は、現代物なので、原色をつかった、華やかな色彩の作品だらけなので、これは、建物にマッチしているようにも見えます。

富山といえば、薬の町でもあります。薬種商の館 金岡邸へ行ってきました。

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建物の母屋は明治初期、新屋部分が大正の頃だそうです。金岡家は薬商だけでなく、銀行を設立したり、今ではコンピューター企業の設立にも関与した富山県の経済界に業績を残した家です。

建物の中に入ると、母屋と新屋の繋ぎの廊下の窓に全面結霜ガラスが嵌まっていました。よく見ると、その他の窓にも、結霜ガラスが多用されていました。

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ということで、今回は4件もの北前船の館を見て回りましたが、廻船問屋という情報を早く採り入れることが出来る職業柄、かなり先進的な文化を持っている印象を受けました。明治時代の時代の早い変化に素早く対応できる情報力が廻船問屋にはあったということでしょう。

今回は、仏像では、まだ半跏趺坐の仏像が見出されること、半跏趺坐の認識をもった人が一人でもいたことが、収穫だったのかな。

また、ステンドグラス、色板ガラス、模様入りケシガラス、手吹き円筒法のガラス を見ることができて、目的は達成出来たということでしょうが、もうひとつ解決できない問題をかかえてしまったような気がします。

ガラスも仏像もまだ道半ばです。

2016年10月18日 (火)

福井県・高岡・富山の旅(2日目)

15日

朝、福井から、電車で金沢をスルーして、高岡へ。氷見線に乗り換え、伏木駅で下車。
徒歩10分で、小高い丘の上に、望楼を備えた伏木北前船資料館はありました。

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この旧秋元家住宅は、明治20年の大火後に建てた建物で、小矢部川河口を見渡せる高台に位置しています。
中庭に面した廊下に、引き分け戸があり、そこに青と赤の色ガラスが嵌まっていました。

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と、その反対側に便所と台所のある建物があり、便所の突き当たりの片引き戸のガラスがいやに濃い色をしているのに気づきました。よく見ると、その戸に青色のガラスが嵌まっていました。

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このガラスは管理人も知らなかったようで、ビックリのようでした。

この伏木には、勝興寺というおおきなお寺があります。

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この唐門は、明和6年(1769)年建立で、京都・興正寺にあったものを、明治時代に移築したのだそうです。移築にあたって北前船の船主たちが大金をだしたとか。

伏木駅にもどると、電車の時間がまだ40分ほどあるので、駅舎の中にある観光案内所にはいると、案内人らしき初老の人が話かけてきました。伏木北前船資料館で色ガラスを見てきたというと、板ガラスの話で盛りあがり、よくよく聞いてみると、富山は、サッシメーカーの工場が数多くあり、それに関連した仕事に従事していた人のようでした。

高岡駅にもどって、徒歩で瑞龍寺へ。

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右の大庫裏は屋根の工事中で、足場がかかっていましたが、この景観が本来の寺院の伽藍というものでしょう。

東司にあった、烏枢沙摩明王像が法堂の中にまつってありました。

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上のは、コピー。

バスで金屋町の近くでおり、古い鋳物の町並みを歩いて行くと、高岡市鋳物資料館がありました。中には、鋳物の製作工程、道具などが展示してありました。

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これは、銅造仏像の製作途中の状態。

川をわたると、山町筋という町並みがあります。高岡御車山という祭りの山車が展示してある高岡御車山会館という展示施設がありました。中にはいると、10mはあるガラスケースの中にその山車がありました。どうやって、この10mもある板ガラスを施工したのだろうと、商売っけを出したりして。

町並みの中にある、菅野家住宅、旧室崎家住宅を見学。

バスに乗っていて気になった、高岡大仏を間近に拝観。

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現仏像は、明治40年建造に着手。昭和8年5月3日に開眼をした銅造の阿弥陀如来像です。原形は、東京美術学校出身の中野双山によるものだそうです。像高743cm

電車で高岡から富山に着き、夕食は、白エビ天丼に、白エビの刺身で満足。

2023年11月
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