硝子

2026年7月19日 (日)

佐賀市歴史民俗館の窓ガラス 令和8年7月見学

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 7棟の明治大正期の建物を資料館として公開している博物館です。その中で、気になった模様入りケシガラスの嵌まっている2棟を見てきました。まずは、明治17年に建てられた旧古賀家、風呂場に入口の扉にPilkingtonのKALEIDOSCOPEが嵌まっていました。
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そして、座敷の4枚引き額入り障子に模様入りケシガラスが嵌まっていました。8枚のうち一部に戦後の型ガラスに帰られていますが、その文様は鳥羽のかどやに嵌まっているガラスと同じです。
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つぎに明治15年に建てられた旧三省銀行です。正面右の2箇所の窓に模様入りケシガラスがありました。外は鉄扉になったいたため、以前は気がつきませんでした。
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内側は両引き分けの窓にそれぞれ6枚のガラスが嵌まっていました。模様入りケシガラスは3種類を確認できました。その中で一番数が多いガラスは、新潟の中野邸記念館にあるものと同じ、
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極七宝とおもわれるのが1枚、これは、鳥羽のかどやにあるものと同じ。
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もう一つは、今までみたことのない枝葉の七宝のような模様でした。
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この建物の奥は住宅になっていて、とくに2階の透明の窓ガラスには多数の泡がある手吹き円筒法によるガラスが残っていました。
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模様入りケシガラスは、その分布が西日本では極端にその用例がすくなく、このガラスをあつかう業者がいなかったのか、どうかなどまだまだ不明な点があります。また、模様入りケシガラスは、1800年代後半より、フランスなどで、加工されはじめており、そのカタログも残っているのですが、現在日本に存在する模様入りケシガラスで、そのカタログに掲載されている模様は、蜀江文と大小菊菱文ぐらいで、その他の日本にある模様が西洋のカタログに見当たりません。また、蜀江文は東日本を中心に日本で数多く見かけますが、その模様のパターンも数種類の違いがあります。これをどう解釈したらいいのか判断に苦しみます。模様入りッケシガラスがすべて輸入されたものという見方もありますが、蜀江文のさまざまなパターンや、日本独特の模様の例を見ると、日本で加工されたものも数多くあったと推測されます。それが、どこの加工場でつくられたのか資料が見いだせません。まだまだ研究半ばです。

2026年4月26日 (日)

喜雨亭 木造3階建 茨城県常陸大宮市高部 明治20年以前建立 令和8年4月見学

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 水郡線の常陸大宮駅から、1日2本しかないバスに乗っておよそ50分でたった200円の運賃でした。高部宿の中の道路沿いに喜雨亭は建っていました。その後ろには、養浩園という庭があり、二つの川に挟まれていて、苔が全体に敷き詰められていました。
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岡山家は、酒造業をいとなんでおり、喜雨亭の3階に描かれている“花の友”とは、製造していた酒の名前だそうです。
建物の3階は3畳ほどの広さで、1面の窓に赤・緑・黄の色ガラスをちりばめて嵌められています。0805 
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ガラスを詳細に観察してみると、細かな泡や斜めの皺が確認されました。手吹き円筒法による板ガラスと思われます。おそらく舶来品でしょう。
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喜雨亭2階
 
高部宿には、間宮家という洋館があり、そこにも色ガラス嵌まっているということですが、外観しか見られず、どこに色ガラスがあるのか確認はできませんでした。
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2026年3月15日 (日)

レトロカフェ Toichi

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 沼田から猿ヶ京行きのバスで30分ほど乗ったところに、古民家を改造したカフェがあります。建物は大正時代頃の創建で、2階部分の部屋の間仕切りを外してそこにさまざまな古い骨董品を並べています。窓には、古い建具を利用して色ガラスや、型硝子、ステンドグラスを嵌めています。

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元から一部の窓に赤い色ガラスが嵌まっていたようですが、それはほんの数枚のみで、他の色ガラス、型硝子、ステンドグラスは新たに購入したものだと、オーナーが話しておられました。

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それにしても、オーナーの収集能力はすばらしいものがあります。
その中で、いままで写真などでしか見なかったさまざまな型硝子が見られました。ミュラネーゼ(Muranese)、リップル(Rippled)、カレイドスコープ(Kaleidscope)、ハンマード(Hammered)など、ピルキントンのカタログに掲載されているものです。

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Muranese

 

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Rimpled

 

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Rippled

 

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右からKaleidoscope、Hammered、Arctic

 

 また、建具にはいっている透明硝子にも、手吹き円筒法や、機械吹き円筒法(ラバース法)によるものも散見されました。

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手吹き円筒法

 

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機械吹き円筒法


 更に、1階の部屋を特別見せていただきましたが、そこには、模様入りケシガラスの大小菊菱文がありました。この硝子は建物の建築当初にあった硝子ということです。

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2026年2月13日 (金)

小西本家離れ 愛媛県宇和島市津島町岩松 木造2階建て 明治期竣工 令和2年~5年修復 令和8年2月見学

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 当地の豪商、小西家が明治年間に迎賓館としての役割で建てたといわれています。2階建てで、それぞれ2間の座敷になっています。一時期人が住んでいたこともあり、令和2年から5年にかけて、アメリカのフリーマン財団の支援を受けて隣接する蔵の一部とともに修復しました。
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1階の川側の窓には、4枚引き戸に、赤・青・黄・緑の4種の色ガラスを嵌めています。ガラスを詳細に観察すると、斜めの皺、楕円形の泡、不規則なゆがみといった”手吹き円筒法”による板ガラスの特徴をあらわしています。ガラスの破損修復も1枚のみのようです。
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この離れのガラスでもうひとつ注目すべきは、廊下と座敷の間の額入り障子のガラスが模様入りケシ加工をしていることです。ガラスの縁はすべて”木爪”の模様ですが、その中に絵入り加工をしているガラスがあります。
 
1階の川側の障子4枚引きで各2枚にガラスがありますが、そのうち絵入りが8枚のうち5枚、
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裏側の座敷は2枚引き4枚のガラス。
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2階は、川側の座敷にL字形に6枚の障子に12枚のガラスの内7枚、
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裏側の座敷は2枚引きの障子に4枚のガラスの内2枚に絵入り加工がほどこしてあります。
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絵のモチーフは、上部に山が描かれ、下部に木や、帆掛け船、家屋が描かれています。それぞれが微妙に違った風景になっていて、同じものが見当たりません。山の加工方法には、ボカシ加工をほどこしており、かなり高度な技術と道具で加工されているようです。
絵入りケシガラスは、手持ちのガラス加工見本帳にも似たような図柄がありますが、ボカシ加工はされておらず、小西家の図柄は、見本帳よりも単純化した模様になっています。この絵入りケシガラスは、全国的にも希少な加工品ですが、その時代判定には、かなりの幅を考慮しなければなりません。
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2025年8月11日 (月)

浜松市美術館『大ガラス絵展』 令和7年7月19日~11月3日

 ちょうど土用丑の日と、講演会が重なり、まず目標は、鰻を食することでした。浜松には、過去2回訪れていて、その度に鰻屋を探索してきましたが、今回3回目は、準備万端、開店30分前に行き予約をとって、食することができました。鰻屋によってそれぞれ個性があって、鰻の奥深さを実感しました。
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 さて、展覧会は、ドイツのアウスブルグ市アートコレクション&美術館を中心として、浜松市美術館が所有している内田コレクションなど、ヨーロッパ・中国・インドネシア・日本と、世界中のおよそ200点にもおよぶガラス絵が展示されています。『ガラス絵』というテーマでこれだけの量を一地方の美術館で開催することができたのは、内田コレクションがあっただけではなく、それをもとに美術館が研究を積み重ねた結果だとおもいます。さまざまな国て製作されている『ガラス絵』の研究拠点として、さらなる研究成果を期待しています。
 講演会は、ドイツの美術館館長、学芸員、大学名誉教授の3人でした。『ガラス絵』の基本的な情報、技法、歴史などが講演されました。
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今回の展示で、ガラス絵には、さまざまな技法を使って描かれているのがわかりました、金箔を貼ってそれを掻き取ってえがく技法や、螺鈿を貼る方法、ガラス絵特有の一般の絵画とは反対の描画方法で、どういう技術がつかわれたのかといった疑問に答えてくれました。
 
私の疑問で一番注目していることは、素材の板ガラスがいつ頃、どこで、どういう方法で作られたのかということでした。
カタログ所載の論文ジュリア・クワント「儚し芸術作品ーヨーロッパのガラス絵の歴史」によると、ヨーロッパで、ガラス絵が盛行したのは、16世紀前半に平滑で高品質のガラスが生産されてからで、製造場所は北東イタリアのヴェネトからチロルの広域な地域からということです。その頃の板ガラスがどういう方法でつくられていたかについて明確な言及はありませんが、今回の展覧会カタログには、数点のガラス絵の素材に関する調査報告が書かれています(森直義「ガラス絵の技法と修復」)。
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そのひとつが、「基督降誕図」(浜松市美術館蔵)です。製作は16世紀後半、ヴェネチア・チロル地方で、ガラス寸法 27.0㎝×13.0㎝ 厚さ 3.0㎜~4.0㎜となっています。CTスキャンをもとにした3D画像によると、2辺にロールによってのばされた跡があり、いわゆる単ロール法によって板状にのばされたと確認できます。さらに、白色干渉顕微鏡によると、接地面には灰とおもわれるガラス表面の微細な凸凹があるということですが、ということは、接地面は、研磨をせず凸凹の状態で絵の具をのせたということになります。単ロール法での接地面は、ガラスは均一に冷却されないので、凸凹が生じます。ということは、透明にならないということです。この作品に使われている板ガラスがどの程度の透明度かは記述がありません。疑問の残るところです。
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18世紀になると、ヨーロッパ各地で、手吹き円筒法による板ガラスの生産が活発になったということが、ガラス絵の普及からうかがえます。板ガラスの厚みも。1㎜から2㎜程度に薄くなります。そして、泡も楕円形になります。大きな板ガラスの生産は、産業革命のイギリスで、1830年代から工業化された工場で大量生産されるようになってからです。
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2025年6月10日 (火)

型硝子コレクション

 最近、昭和時代に爆発的に生産された日本の型硝子について、一部で注目をあびているようです。そして、その型硝子の写真リストをあげているサイトがいくつか散見されます。しかし、日本の3メーカーは、自らが生産した型硝子の資料をまとめて明らかにしていません。なので、各3メーカーの社史、広報誌などで、情報を得るしかありません。そのなかで、型硝子の名前がわかっていながら、現物あるいは、その写真が不明な硝子が存在します。
旭硝子(現AGC)の社史に記載されていながら(P418)写真のないものが、
 フローラー  4㎜ 昭和34年5月
 まさご   4㎜ 昭和40年12月
 ブロッサム 4㎜ 昭和30年8月
 
日本板硝子(現NSG)では
 ミストライト 昭和31年
 しま            不明
 
があります。そのうち、旭硝子製 「まさご」の現物が手元にありましたので、写真を掲載します。そのほかの不明の型硝子の情報がありましたら、御連絡をください。よろしくお願いいたします。
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2024年11月 8日 (金)

鳥羽大庄屋かどや 三重県鳥羽市 主屋:文政8年(1825) 東半分:明治17年(1884)以前 平成28年5月・令和6年10月見学

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 平成16年、広野家より寄贈をうけ、公開されました。色硝子と模様入りケシガラスは、東半分の建物に嵌まっていますが、実際には、創建当初ではなさそうですが、透明硝子や、色硝子に手吹き円筒法とおもわれる泡や、皺がみられます。ここでは、模様入りケシガラス、色硝子、手吹き円筒法の透明硝子をご紹介しようとおもいます。
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①片引き戸 模様入りケシガラス1種類、型硝子(ダイヤ)
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②両引き分け戸 色硝子(青・赤・緑)、模様入りケシガラス2種類
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③両引き分け戸 模様入りケシガラス1種類
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④4枚引き分け戸上部 下半分ケシ加工、ちらし模様
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⑤廊下外部ランマ嵌め殺し窓 全面ケシ加工ちらし模様
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⑥廊下内部ランマ引戸 色硝子(赤・青・緑)
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⑦座敷ランマ嵌め殺し窓 模様入りケシ加工雲井抜き
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⑧両引き分け戸 色硝子(赤・青・緑)、模様入りケシガラス1種類
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⑨両引き分け戸 模様入りケシガラス8種類、型硝子(ダイヤ)
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⑩両引き分け窓 色硝子(赤・青・、緑・気)、スリガラス
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⑪両引き分け窓 色硝子(赤・青・緑・黄)、スリガラス
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⑪下部両引き分け窓 色硝子(青・赤)
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⑫片引き戸 結霜硝子
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⑬廊下引き分け戸 手吹き円筒法透明硝子
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2024年11月 4日 (月)

VITA GLASS(ヴァイタガラス or ヴィータガラス)

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 1920年後半から30年にかけて、ヨーロッパでは、健康志向の高まりで、生理学者、ガラス化学者、動物園が建物を医療装置に変えるプロジェクトを開始しました。その頃、F.E.E.Lamplough(ランブロー)が製造にかかわり論文を発表して注目を浴びました。紫外線がバクテリアを殺し、ビタミンDの合成をうながすという長所に着目し、紫外線をより多く透過するガラスを開発し、「"VITA"ガラス窓を通じて日光の健康光線を永久に取り入れる」と主張し、各界で大々的なキャンペーンを行いました。
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F.E.ランブロー「"VITA"ガラスの特性と用途」『ジャーナル・オブ・ザ・ロイヤル ソサエティ・オブ・アーツ』Vol.77 No.

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その板ガラスの製造は、チャンスとピルキントンが製造し売り出しました。住宅のサンルームや、動物園の飼育舎の屋根、病院の医療用サンルームなどに使われました。しかし、1930年代後半になると、その有効性に疑問が残り、景気の後退により高価な商品が売れなくなり、生産中止に追い込まれました。
 太陽光として地上に届く紫外線は、近紫外線(波長380~200nm)とよばれる範囲になります。そのうち、UV-A(400~315nm)は、普通透明硝子とVATA硝子はおよそ88%の透過率ですが、UV-B(315~280nm)では、普通透明硝子はほとんど透過しないのに対して、VITA硝子は44%の透過率となります。しかし、UV-Bの領域の紫外線は多く浴びると皮膚癌や眼炎のリスクがあり、また、化学反応により、退色がおきるとされています。現在では、紫外線はできるだけ浴びない方向に向かっているようです。ちなみに、透明の飛散防止フィルムは、紫外線をほぼ99%カットされるため、紫外線カットには有効です。

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FS生「雜録 新しい硝子」『大日本窯業協会雑誌』36巻 432号 1928.12.20 より

 その"VITA"ガラスが、日本で見られるのです。ひとつは、明治村にある坐漁荘の2階のサンルールムの窓ガラスにエッチングで"VITA"の文字がほどこされている透明硝子が2枚あります。この部分は昭和4年に増改築した部分で、ヨーロッパの最先端製品を入れたのだろうとおもいます。もうひとつは、熱海の起雲閣の玉姫の間の窓ガラスの一枚に"VITA"のマークがあります。この建物は根津嘉一郎により昭和7年に建てられた洋館です。日本では、ヨーロッパの状況をいち早く取り入れていたことがわかります。

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坐漁荘

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起雲閣 玉姫

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2024年10月12日 (土)

工部省品川硝子製造所 愛知県犬山市明治村 明治10年頃竣工 令和6年10月見学

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 明治政府の振興策で国産の硝子工業育成の為に、品川に建てられた硝子工場のうちの1棟です。

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試行錯誤の末、結局、国産板硝子の製造に失敗してしまいました。建物はその後製薬工場を経て、昭和44年明治村に移築されました。明治村では硝子工芸品の販売所などに使われていましたが、2024年5月から修理工事の作業中です。

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明治村は、工事中の建物の内覧会を行うということなので、参加してきました。今回の修理部位に、建具と建具枠があったので、どういう修理を行っているのかを確かめたかったからでした。足場がかかった内部は撮影禁止でしたので、お見せできませんが、木製建具はすべて取り払われて、一部木部の補修や、新たに製作された建具が取り付け前の状況でした。ということは、以前嵌めてあった硝子はすべて撤去されたということでした。

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明治村の建築担当者に聞くと、硝子はすべて当初のものではなかったので、今回の工事では、現代の硝子を嵌める予定ということでした。明治時代に作られていた手吹き円筒法のガラスは、海外のメーカーで今でも作られていますよ、と教えましたが、今ひとつ反応がありませんでした。明治村に移築するときは、レンガをひとつひとつはずして、新たに積み上げ、木製建具もそのまま移設したのに、硝子だけはどうして新しい材料を使用するのでしょうか。確かに、時間の経過で、硝子の破損は起きることですし、そのたびに硝子の入れ替えが行われたことは容易に想像できますが、しかし、今回の修理工事のコンセプトとして、創建当初の状態にできるだけ近づけるという考えがなかったのでしょうか。しかも、硝子はいわゆる三角パテによる施工ということでした。なにか文化財修理のコンセプトがちぐはぐな感じがします。建物は明治初期のレンガ造なのに、窓硝子はフロート硝子、しかも、木枠に三角パテで施工することになります。

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“硝子職人の仕事のうち、いわゆる山パテの施工は技術と経験が必要な作業ですよ。”と若い女性の担当者に言うと、自ら取り付けを行うかのような言いぶりです。もう半世紀も途絶えてしまった技術が、そんな簡単にできるものなのか心配になりました。これは、修理後にパテ付けの仕上げを見に行かなければなりません。

2024年9月18日 (水)

ふじみ野市立福岡河岸記念館の模様入りケシガラス

ふじみ野市立福岡河岸記念館 埼玉県ふじみ野市 明治30年頃竣工 平成23年・24年、令和6年9月見学
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 内陸部では珍しい回漕問屋の建物です。新河岸川という荒川の支流を船運に使っていました。建物は主屋、台所棟、文庫蔵、離れがあります。離れは三階建てで、望楼の役目を持っていました。この建物は、私の板ガラス研究のきっかけを作ってくれました。初めて訪れた時、板ガラスの加工のバリエーションの豊富さに目をみはりました。特に、蜀江文。七宝文の板ガラスです。さらに、緑色の板ガラスを窓に嵌めるという発想も驚きでした。今から考えると、板ガラスが国内生産され始めた明治42年から、板ガラスは単なる透明だけではなく、さまざまな加工を通して、デザインを多様化してその用途を増やしていったのだろうと思います。板ガラスの加工は、スリガラスからはじまり、結霜硝子が生まれ、模様を入れたケシガラスと進化していきました。そして、型硝子の発生とともに、加工硝子は衰退していきました。いまや、その加工所、加工技術を知ることがむずかしくなっています。そんな中で、この建物に嵌まっている板ガラスの加工品を見ていこうと思います。

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①主屋1階奥座敷両引き分け窓 [鶴亀・菊文 木爪二重組紐]

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②はなれ1階 [七宝文]

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③はなれ1階便所前引き違い窓 [中抜き、木爪 もみじ]

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④はなれ1階障子 [子持ち木爪]

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⑤はなれ1階障子 [角唐草角丸]

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⑥はなれ1階額入り障子 [蜀江文]

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⑦はなれ2階額入り障子 [木爪 もみじ]

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⑧はなれ3階額入り障子 [内丸 松葉]

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⑨はなれ3階格子片引き窓 [緑色硝子]

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緑色硝子には、細長く伸びた泡があります。おそらく、ラバース法(機械吹き円筒法)によるものとおもわれます。さらに、主屋の内部の額入り障子には、手吹き円筒法とおもわれる板ガラスが嵌まっています。これが竣工当初のものとすれば、舶来の硝子となります。

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