沼田から猿ヶ京行きのバスで30分ほど乗ったところに、古民家を改造したカフェがあります。建物は大正時代頃の創建で、2階部分の部屋の間仕切りを外してそこにさまざまな古い骨董品を並べています。窓には、古い建具を利用して色ガラスや、型硝子、ステンドグラスを嵌めています。
元から一部の窓に赤い色ガラスが嵌まっていたようですが、それはほんの数枚のみで、他の色ガラス、型硝子、ステンドグラスは新たに購入したものだと、オーナーが話しておられました。
それにしても、オーナーの収集能力はすばらしいものがあります。
その中で、いままで写真などでしか見なかったさまざまな型硝子が見られました。ミュラネーゼ(Muranese)、リップル(Rippled)、カレイドスコープ(Kaleidscope)、ハンマード(Hammered)など、ピルキントンのカタログに掲載されているものです。
Muranese
Rimpled
Rippled
右からKaleidoscope、Hammered、Arctic
また、建具にはいっている透明硝子にも、手吹き円筒法や、機械吹き円筒法(ラバース法)によるものも散見されました。
手吹き円筒法
機械吹き円筒法
更に、1階の部屋を特別見せていただきましたが、そこには、模様入りケシガラスの大小菊菱文がありました。この硝子は建物の建築当初にあった硝子ということです。
平成16年、広野家より寄贈をうけ、公開されました。色硝子と模様入りケシガラスは、東半分の建物に嵌まっていますが、実際には、創建当初ではなさそうですが、透明硝子や、色硝子に手吹き円筒法とおもわれる泡や、皺がみられます。ここでは、模様入りケシガラス、色硝子、手吹き円筒法の透明硝子をご紹介しようとおもいます。
①片引き戸 模様入りケシガラス1種類、型硝子(ダイヤ)
②両引き分け戸 色硝子(青・赤・緑)、模様入りケシガラス2種類
⑧両引き分け戸 色硝子(赤・青・緑)、模様入りケシガラス1種類

⑨両引き分け戸 模様入りケシガラス8種類、型硝子(ダイヤ)
⑩両引き分け窓 色硝子(赤・青・、緑・気)、スリガラス
1920年後半から30年にかけて、ヨーロッパでは、健康志向の高まりで、生理学者、ガラス化学者、動物園が建物を医療装置に変えるプロジェクトを開始しました。その頃、F.E.E.Lamplough(ランブロー)が製造にかかわり論文を発表して注目を浴びました。紫外線がバクテリアを殺し、ビタミンDの合成をうながすという長所に着目し、紫外線をより多く透過するガラスを開発し、「"VITA"ガラス窓を通じて日光の健康光線を永久に取り入れる」と主張し、各界で大々的なキャンペーンを行いました。
F.E.ランブロー「"VITA"ガラスの特性と用途」『ジャーナル・オブ・ザ・ロイヤル ソサエティ・オブ・アーツ』Vol.77 No.
3997 1929.6.28
その板ガラスの製造は、チャンスとピルキントンが製造し売り出しました。住宅のサンルームや、動物園の飼育舎の屋根、病院の医療用サンルームなどに使われました。しかし、1930年代後半になると、その有効性に疑問が残り、景気の後退により高価な商品が売れなくなり、生産中止に追い込まれました。
太陽光として地上に届く紫外線は、近紫外線(波長380~200nm)とよばれる範囲になります。そのうち、UV-A(400~315nm)は、普通透明硝子とVATA硝子はおよそ88%の透過率ですが、UV-B(315~280nm)では、普通透明硝子はほとんど透過しないのに対して、VITA硝子は44%の透過率となります。しかし、UV-Bの領域の紫外線は多く浴びると皮膚癌や眼炎のリスクがあり、また、化学反応により、退色がおきるとされています。現在では、紫外線はできるだけ浴びない方向に向かっているようです。ちなみに、透明の飛散防止フィルムは、紫外線をほぼ99%カットされるため、紫外線カットには有効です。
FS生「雜録 新しい硝子」『大日本窯業協会雑誌』36巻 432号 1928.12.20 より
その"VITA"ガラスが、日本で見られるのです。ひとつは、明治村にある坐漁荘の2階のサンルールムの窓ガラスにエッチングで"VITA"の文字がほどこされている透明硝子が2枚あります。この部分は昭和4年に増改築した部分で、ヨーロッパの最先端製品を入れたのだろうとおもいます。もうひとつは、熱海の起雲閣の玉姫の間の窓ガラスの一枚に"VITA"のマークがあります。この建物は根津嘉一郎により昭和7年に建てられた洋館です。日本では、ヨーロッパの状況をいち早く取り入れていたことがわかります。
明治政府の振興策で国産の硝子工業育成の為に、品川に建てられた硝子工場のうちの1棟です。
試行錯誤の末、結局、国産板硝子の製造に失敗してしまいました。建物はその後製薬工場を経て、昭和44年明治村に移築されました。明治村では硝子工芸品の販売所などに使われていましたが、2024年5月から修理工事の作業中です。
明治村は、工事中の建物の内覧会を行うということなので、参加してきました。今回の修理部位に、建具と建具枠があったので、どういう修理を行っているのかを確かめたかったからでした。足場がかかった内部は撮影禁止でしたので、お見せできませんが、木製建具はすべて取り払われて、一部木部の補修や、新たに製作された建具が取り付け前の状況でした。ということは、以前嵌めてあった硝子はすべて撤去されたということでした。
明治村の建築担当者に聞くと、硝子はすべて当初のものではなかったので、今回の工事では、現代の硝子を嵌める予定ということでした。明治時代に作られていた手吹き円筒法のガラスは、海外のメーカーで今でも作られていますよ、と教えましたが、今ひとつ反応がありませんでした。明治村に移築するときは、レンガをひとつひとつはずして、新たに積み上げ、木製建具もそのまま移設したのに、硝子だけはどうして新しい材料を使用するのでしょうか。確かに、時間の経過で、硝子の破損は起きることですし、そのたびに硝子の入れ替えが行われたことは容易に想像できますが、しかし、今回の修理工事のコンセプトとして、創建当初の状態にできるだけ近づけるという考えがなかったのでしょうか。しかも、硝子はいわゆる三角パテによる施工ということでした。なにか文化財修理のコンセプトがちぐはぐな感じがします。建物は明治初期のレンガ造なのに、窓硝子はフロート硝子、しかも、木枠に三角パテで施工することになります。
“硝子職人の仕事のうち、いわゆる山パテの施工は技術と経験が必要な作業ですよ。”と若い女性の担当者に言うと、自ら取り付けを行うかのような言いぶりです。もう半世紀も途絶えてしまった技術が、そんな簡単にできるものなのか心配になりました。これは、修理後にパテ付けの仕上げを見に行かなければなりません。
ふじみ野市立福岡河岸記念館 埼玉県ふじみ野市 明治30年頃竣工 平成23年・24年、令和6年9月見学
内陸部では珍しい回漕問屋の建物です。新河岸川という荒川の支流を船運に使っていました。建物は主屋、台所棟、文庫蔵、離れがあります。離れは三階建てで、望楼の役目を持っていました。この建物は、私の板ガラス研究のきっかけを作ってくれました。初めて訪れた時、板ガラスの加工のバリエーションの豊富さに目をみはりました。特に、蜀江文。七宝文の板ガラスです。さらに、緑色の板ガラスを窓に嵌めるという発想も驚きでした。今から考えると、板ガラスが国内生産され始めた明治42年から、板ガラスは単なる透明だけではなく、さまざまな加工を通して、デザインを多様化してその用途を増やしていったのだろうと思います。板ガラスの加工は、スリガラスからはじまり、結霜硝子が生まれ、模様を入れたケシガラスと進化していきました。そして、型硝子の発生とともに、加工硝子は衰退していきました。いまや、その加工所、加工技術を知ることがむずかしくなっています。そんな中で、この建物に嵌まっている板ガラスの加工品を見ていこうと思います。
①主屋1階奥座敷両引き分け窓 [鶴亀・菊文 木爪二重組紐]
②はなれ1階 [七宝文]
③はなれ1階便所前引き違い窓 [中抜き、木爪 もみじ]
④はなれ1階障子 [子持ち木爪]
⑤はなれ1階障子 [角唐草角丸]
⑥はなれ1階額入り障子 [蜀江文]
⑦はなれ2階額入り障子 [木爪 もみじ]
⑧はなれ3階額入り障子 [内丸 松葉]
⑨はなれ3階格子片引き窓 [緑色硝子]
緑色硝子には、細長く伸びた泡があります。おそらく、ラバース法(機械吹き円筒法)によるものとおもわれます。さらに、主屋の内部の額入り障子には、手吹き円筒法とおもわれる板ガラスが嵌まっています。これが竣工当初のものとすれば、舶来の硝子となります。
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