ステンドグラス

2026年8月28日 (金)

『国華』1569号と「百花繚乱」展

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 東京都美術館で『大英博物館 日本美術コレクション 百花繚乱~海を越えた江戸絵画』展が7月25日~10月18日まで開催されています。その中の目玉として、宮越邸の襖絵と大英博物館・シアトル美術館所蔵の襖絵の原所在が談山神社だったということで、その襖絵を一堂に会した展示を行っていました。
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宮越邸のステンドグラス公開は、2020年11月から始まっており、すぐに筆者は見学していました。襖絵の存在は気がついていましたが、その時は気にも留めませんでした。山下善也氏によると、2023年夏に宮越邸の襖絵の画像を見て調査を開始して、2024年9月に記者発表を行ってマスコミに取り上げられました。
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これにともなって、『国華』1569号は宮越邸の襖絵とステンドグラスについての特輯を組み、論文3編、解説5編を掲載しています。今、ステンドグラスについての論文解説について、いささか思うところを書いてみようと思います。
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論文 齋藤淳「宮越正治と宮越家の文化財」
 中泊町博物館館長による宮越家の歴史と、文化財の収集をした九代目正治の生涯について記載しています。とくに、正治の当時の美術家達との交流についての記述は注目に値します。また、宮越邸には、小川三知から宮越正治宛の書簡が49通のこされており、現在読解がすすめられていると聞きます。是非、公開を希望します。
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論文 田辺千代「小川三知と日本のスティンドグラス」
 娘の美保子氏が所蔵していた小川三知の5冊の業務日誌や、原画などをもとに、小川三知の生涯について記述しています。三知の業績などを列挙した箇所などがありますが、精緻な検証をもとにした記述かどうか、資料の公開が断片的なため、もうひとつ信頼性に欠けるところがあります。他の研究者の批判に耐える一次資料の公開とそれに基づいた論考が出されることを期待します。
 
解説 松本一郎「小川三知 十三潟風景」
 松本スティンドグラス製作所の三代目社長で、実際にスティンドグラスの製作をしている立場による解説です。素材の板ガラスでは、ラフロールドグラスとオパールセントグラスの素材の特徴を述べ、技法では、「ラファージ式」と呼ばれる2枚重ねの方法、そして、鉛線とカッパーフォイルを使ったガラスの繋ぎ方法の説明をしています。
この字数では、詳細を述べることは困難でしょうが、もっと詳細な調査報告のようなものが公開されてもいいかなと思います。
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解説 島尾新「小川三知 四季花木」 
国華社の編集者である筆者は、専門が絵画であり、このステンドグラスの嵌まった障子を一つの絵画として解説しているので、ステンドグラスの特徴について十分に把握しているのか疑問です。特に、ステンドグラスの地のガラスが透明のため、外部の庭木をモチーフとして取り入れるというのは、いわゆる庭園における「借景」にあてはめられますが、それでは、この障子に嵌められている“あじさい”“白木蓮”“黄櫨”についてどういう位置付けになるのか言及されていません。この障子をひとつの絵画としてとらえるのならばそこまでです。ガラスは、透明という絵画にはない特性があるのです。この特性を生かして、庭の木々をPullして障子にとりこめば(いわゆる借景)、ステンドグラスの花木はPushして障子の外に押しやってモチーフが外部の庭に生えているようにみせているのです。単なる二次元の絵画ではなく、奥行きのある3次元の絵画としての見せ方をしているのです。
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解説 田辺千代「小川三知 柳に翡翠・菖蒲」
 この解説でも小川三知日記の断片的な開示がありますが、現在のところそれを検証する手立てがありません。筆者は小川三知を世に出した功績のある人物ですが、もともと新聞記者であり、学者ではありません。研究方法に思い込みと緻密さのなさが見受けられます、日本のステンドグラス研究者がもっと輩出し、切磋琢磨し更なる発展ができるように期待します。ひとつ気になったことに「翡翠」は何と読みますか?普通では「ヒスイ」と読みますが、文脈から読むと「カワセミ」です。読者はとまどいませんか?なせ「カワセミ」の漢字表記の「翡翠」を使うのか、これが国華社の意向で漢字表記にしたのか、筆者の要望で記述したのかわかりませんが、あまりにも不親切です。
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2026年6月24日 (水)

『洋館ー明治の夢と挑戦』江戸東京博物館リニューアル記念特別展 令和8年6月見学

 久しぶりに両国に足を運びました。リニューアル早々なので、混雑していました。
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特別展『洋館』は、館長になった藤森照信氏の研究成果を遺憾なく発揮した展示でした。近代日本の建築史を丁寧にたどっていき、わかりやすく分類して説明していました。
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展示で気になったのは、「慶應義塾図書館ステンドグラス」和田英作原画でした。この絵画は、はじめて見ました。これで、現在のステンドグラスとの比較ができます。今のステンドグラスは、戦災で焼失した後、昭和49年に大竹龍造によって復元されたものです。この現在のステンドグラスがどの程度原画に忠実に作られているのかが、今までわかりませんでした。白黒の写真があっても、どんな色ガラスが使われたのかが不明でした。これで、原画をもとにして、どんな色ガラスが使われたのか想像ができます。
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原画とステンドグラスを比較してみると、微妙に形状が異なっている部分があります。また、違う色ガラスを使っている箇所もあります。ここのところは、大竹の創作がはいっているのかなとおもいます。大正4年(1915)、原画を元にステンドグラスを製作した小川三知だったらどの色ガラスを使ったのだろうかというところは、もっと検討する余地があると思います。その他、開東閣に嵌まっていたステンドグラスがありましたが、撮影不可、図録には斜めの写真が載っていました。
 
特別展では、同潤会アパートの復元建物の一部がありました。窓ガラスは三角パテ(山パテ)で留めています。
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2026年2月14日 (土)

児島虎次郎記念館(旧中国銀行倉敷支店倉敷本町出張所) 岡山県倉敷市 大正11年竣工 平成26年11月・令和8年2月見学

平成28年まで銀行として使われていました。
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現在は大原美術館の別館として内部の公開をしています。
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1階8ヵ所のファンライトにステンドグラスが嵌まっています。
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このステンドグラスの特徴は、ガラスに”モトル”を多用していることです。”モトル”という柄は薄い斑点のような模様をしたガラスで、ティファニーの作品によく見られます。日本で、このガラスが使われているのはめづらしく、ちょっと雰囲気が変わります。
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リングモトル ブルズアイ

2026年2月11日 (水)

萬翠荘 愛媛県松山市 RC造地上3階地下1階 大正11年竣工 平成26年10月・令和8年1月見学

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 旧松山藩主久松定謨の邸宅として城山の南麓に建てられました。設計は木子七郎、施工は鴻池組。ステンドグラスは、木内家資料の中にある『久松伯爵家感謝状』『金銭出納帳』から木内真太郎の製作と判明しています。ちょうど、木内が大阪に玲光社を立ち上げた年にあたります。
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 ステンドグラスは、11種類のモチーフを19ヵ所のパネルにして嵌めています。
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まず1階から
正面玄関ホール出入口ランマ3連①
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階段ホール(広間)出入口ランマ3ヵ所②③④
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謁見の間(サルン)出入口ランマ⑤⑥
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晩餐の間(食堂)出入口ランマ⑦
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晩餐の間(食堂)テラス出入口ランマ⑧
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正面玄関階段踊り場⑩
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2階
迎賓室(御居間)出入口ランマ⑪⑫
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特別室(寝室)出入口ランマ⑲⑬
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廊下出入口ランマ⑭⑮
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(夫人室)バルコニー出入口ランマ⑯
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(御書斎)バルコニー出入口ランマ⑰⑱
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参考文献
○金田美世「近代建築に寄り添ったステンドグラス 重要文化財「萬翠荘」のステンドグラス」『日本建築家協会東海支部ARCHITECT』第287号 2012年8月
 
○金田美世「3.3.11 久松定謨伯爵邸(1922:現萬翠荘)」『日本のステンドグラス黎明期ー木内家資料によるデザインと近代建築ー』平成29年7月25日

2026年2月 6日 (金)

道後温泉 ふなや 令和8年1月見学

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 寛永年間創業の老舗旅館です。皇室も宿泊されています。昭和天皇が宿泊された洋間を復元した展示室に、ステンドグラスがはまっています。そして、7階のゲストラウンジにも、ステンドグラスがあります。今回宿泊がてら見学させてもらいました。
 
2階ロビー内展示室 5ヵ所

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展示室裏の女子便所の手洗いスクリーン

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ロビーカウンター下

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7階クラブラウンジ 6ヵ所

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道後温泉には、ガラス工芸の美術館が2ヵ所あります。ひとつは、江戸から明治にかけての日本製作のガラス工芸を個人で収集した美術館の瓶泥舎びいどろ・ぎやまん・ガラス美術館と道後ぎやまんガラスミュージアムです。どちらも見応えがありました。
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ついでに道後温泉本館太鼓楼の窓ガラス

 

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2025年10月 1日 (水)

旧前田邸(鎌倉文学館内) 鎌倉市 昭和47年竣工 令和7年9月見学

旧前田家別邸(現在 鎌倉文学館) の敷地に居住用として建てられた住宅です。建築にあたって、別邸に嵌まっていたステンドグラス3枚を移設したそうです。
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六角形のステンドグラスは、別邸2階談話室に嵌まっていた写真がありますが、
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その他の2枚がどこにあったのかは不明です。旧前田邸には、1階居間のランマ、1階両引き分け窓、2階寝室の丸窓、2ヵ所のドアの額、がありました。
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1階居間ランマ
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1階窓
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2階寝室
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2階ドア
この旧前田邸は、鎌倉市が検討した結果取り壊されることが決定しています。ステンドグラスは保存されるようですが、すべて残るのかわかりません。建築時に新造されたものもあるかもしれませんので、慎重な調査が必要かとおもいます。
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昭和11年竣工の鎌倉文学館は、内部の写真撮影が禁止されていたため、外部からしか写真がありません。今回、気づいたのは、玄関横の2枚のステンドグラスを外部からみると、補強棒がケイムにそって斜めに一本はいっています。ちょっと珍しい。
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2025年7月 4日 (金)

旧渋沢邸のステンドグラス

13108042 旧渋沢邸のステンドグラス 江東区潮見 洋館:昭和5年以降 令和7年7月見学
 
 抽選で何回か落選していたのに、たまたま空きを発見し、申し込むと見事当選、猛暑の中、室内は冷房が無く冷水を提供してもらい熱中症にならずに見学できました。渋沢邸は、明治11年に表座敷を建築してから、明治44年三田綱町に移築、昭和5年に洋館を増築、平成3年に青森県六戸町に移築、令和5年現在地に移築されました。
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ステンドグラスは、昭和5年増築した洋館部分にあります。
まず、玄関の両脇にある嵌め殺し窓2ヵ所、ツバメのデザインです。
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客間には、暖炉の両脇と、右側にひとまわり大きな窓が1ヵ所と計3ヵ所のステンドグラスがあります。暖炉の両脇は、木にとまった一羽の鳥、右側の大きな窓には二羽の鳥が描かれています。この3ヵ所の窓の枠の下端には「生活空間再現2025年1月31日 製作:(株)大竹ステンドグラス・(株)斉藤木工所」の銘板があります。
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食堂には、3連のランマ、その下に3連の両開き窓があります。また、その右側には両開き窓が1ヵ所同じデザインのステンドグラスがあります。地には、"MUFFLED"とおもわれる型ガラスを使って、抽象柄を中央に配しています。六戸町時代の写真では、3連の両開き窓には、ステンドグラスがなく、令和の移築改修時に復元したものとおもわれます。
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書斎には、引き違い窓にステンドグラスがあります。地は蛍光色の”PLAIN"を使っているようです。右の石仏は渋谷敬三の所蔵品だったそうです。南北朝か?
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2階の寝室の雨戸には、ひし形のガラスが嵌まっていますが、その内の2枚はブルーのダイヤが嵌まっています。
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透明の窓ガラスの一部にゆがんだガラスが残っています。ラバース法による細長い泡があるガラスを見つけました。他は、並行のゆがみがあり、コルバーン法によるガラスとおもわれます。
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移築復原工事は、昭和5年時の状態にすることをコンセプトにしているということで、さすが、清水建設だけあって、よく調べた上での復原工事だとおもいます。是非とも、その調査結果と復原方法の詳細を、復原工事報告書としてさまざまな方法で誰でも入手できる公開を切望いたします。関係者にだけ配るというのは、公開とはいえませんし、スーパーゼネコンの名がすたるというものです。

2024年9月11日 (水)

瀧山邸のステンドグラス

瀧山邸のステンドグラス 大阪市住吉区 昭和8年竣工 令和6年9月見学


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 先日行われた日本ガラス工芸学会の研究会と見学会で、初めて世に出たステンドグラスです。住宅街にある二階建てのスパニッシュ様式の住宅で、ステンドグラスは、①玄関ランマ、②応接室の丸窓、③応接室入り口のランマ、④玄関横の嵌め殺し窓、⑤2階階段室の丸窓、があります。また、応接室入り口の額入り扉と、応接室の窓の上部に、舶来の型ガラスが嵌まっています。
 吉田氏の発表によると、『建築寫眞類聚 スティンドグラス 第二』 大正15年8月5日 の写真を参考にしたと思われるパネルがあるとのことでした。

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①玄関ランマ

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②応接室の丸窓は、99 の中央の写真。

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③応接室入り口ランマは、90 の上部分の写真。

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④玄関横の嵌め殺し窓は、92 の左側の写真。

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⑤2階階段室の丸窓は、99 の左側の楕円の写真を円形にした写真。

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型板ガラスでは、③応接室入り口の額入り扉の額に嵌まっている型ガラスは、CHANCE BROTHERS & CO,,(チャンスブラザーズ)の製品で、“KRISTELLE"という商品名で1900年から発売されています。

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下呂温泉・湯之島館

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また、ST GOBAIN,CHAUNY & CIREY が1923年に発行したカタログのNO.21にも同様の型ガラスが掲載されています。
日本では、下呂温泉・湯之島館に嵌まっているようです。

応接室窓上部の型ガラスは、調査中です。日本の例では、京都橋本の美香茶寮の玄関の扉に嵌まっています。

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京都橋本・美香茶楼玄関扉

ステンドグラスの地の部分のガラスは戦前では定番の“MOROCCO"が使われています。

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玄関には泰山タイルが乱貼りされています。

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参考サイト
「Chance Brothers:Chance's Figured Rolled Glass Patterns」「Old Window Glass:History of Textured and Patterned Sheet Glass」『Sash Window Specialist』
https://sashwindowspecialist.com/blog/history-patterned-window-glass/

『Manufactures des glaces & produits chimiques de Saint-Gobain,Chauny & Cirey - Catalog,Glass,Omamental Catalogs』
https://archive.org/details/societeanonymede00manu

Facebook「古い板硝子」 https://www.facebook.com/groups/4889876824428552
Facebook「加藤春秋」    https://www.facebook.com/kato.shunju/

2024年8月 7日 (水)

文化のみち二葉館のステンドグラス

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二葉館(旧川上貞奴邸)は、大正9年竣工しました。その後、数度の増改築を経て、一部解体され、名古屋市の所有となって、移築復元され、平成17年開館されました。その経緯は、名古屋市発行『登録有形文化財旧川上貞奴邸復元工事報告書』(以下『報告書』と記す)に書かれています。その中で、この館に嵌まっていたステンドグラスの復元工事について『報告書』で取り上げていない資料を加えて検討をしようと思います。

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 まず、この館には、①1階大広間「初夏」、②1階大広間「踊り子」、③1階旧食堂「アルプス」、④2階旧書斎「もみじ」、⑤1階と2階の階段に5つの照明器具、⑥玄関ランマ と6カ所のステンドグラスがあります。これらを『報告書』をもとにひとつづつ検討していこうとおもいます。

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①「初夏」

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 中央に両開きの扉、ランマ付き、両袖の嵌め殺し窓にステンドグラスが嵌まっています。「報告書」に載る古写真「217 転用されていたステンドグラス「初夏」の一部」を見ると、両袖のパネルはもともと現状左の嵌め殺し袖で、ランマの両端のパネルが欠失していたようです。両開きのドアも「218 転用されていたステンドグラス「初夏」と「アルプス」」にあるように、別の窓に使われていたようです。

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工事では図にあるように、両脇のランマは「新規推定復元」つまりデザインからすべて創作。左の嵌め殺し窓は分かれていたのを合体させてパネルとし、右側は、古写真をもとにデザインしたということです。

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(追加情報)2015年に右袖の”古写真からの復元”部分が発見され、名古屋市が入手し、もとの位置に復元したということです。
https://higashibgv.com/%E6%B4%BB%E5%8B%95%E3%81%AE%E6%A7%98%E5%AD%90/4675

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左 復元したステンドグラス                 右 新たに発見されたステンドグラス


ここに、『報告書』に触れられていない資料があります。武間圭一編『近世ステインドグラス図案集』第一輯 建築畫報社出版部 大正10年刊か?のPL.No.13 に全く同じ図柄が掲載されています。

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しかし、中央ランマと両袖の嵌め殺し、両開きドアは反転しています。創作した両脇のランマは、図柄が全く違っています。古写真を検討してみると、図5-2-130 、図5-2-131 では現状の位置になっています。

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図218 のドアの写真、217の古写真も同様現状の位置になっています。それでは、『ステインドグラス図案集』の写真は反転して掲載されたのでしょうか。この問題を考えるにあたって、もう一つのパネルの検討が必要です。

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『図案集』のランマ

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ランマ部分を反転した写真(両脇の創作した部分)

②「踊り子」

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 このパネルは、古写真とデザインをした杉浦非水のデザイン画を参考にして復元したと『報告書』には書かれています。その古写真は図5-2-124 で、これは、外部から撮った写真とわかりますが、内側から見ると竪琴を弾く人は右、笛吹く人は左、踊り子は左手を挙げています。

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図5-2-127 にある踊り子のデザイン案とは、反転しています。

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『近世ステインドグラス図案集』PL.No.14 によると、古写真と合致します。

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ということは、図5-2-127の復元デザイン案は反転して書かれたということか、『図案集』が反転した写真をのせたかのいずれかということになります。出版物で2枚も写真を反転して掲載することの可能性は低いのではとおもいますが。

③アルプス

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 この4枚のパネルは他の場所に移設されていたようですが、(218 転用されていたステンドグラス「初夏」と「アルプス」)補修もせず、今回の工事で元の位置に嵌められました。大変よい状態で残されています。さて、外側からも一応撮っておこうとおもって、あとで、写真を見ると、各パネルに1カ所二重になっている箇所をみつけました。宇野澤系では、見たことがありませんでした。大変珍しい技法です。

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2024年6月 7日 (金)

戦前刊行のステンドグラス図案集から

 去年(2023年9月10日)第62回日本ガラス工芸学会・研究会[関西]で、吉田淳一「大正期に発刊されたステンドグラス図案集から見たステンドグラスの普及」という研究発表がありました。大正期に発刊された図案集から、実際の作品を特定する作業をおこなっていました。その中で気がついた作品を取り上げてみます。これは、すでに指摘されているのかもしれませんが、あえて書きます。
 まず、『建築寫眞類聚 ステンドグラス』大正6年3月25日 洪洋社 の「43 ステンドグラス」の写真です。

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輪郭が違いますが、図案は青森・佐瀧邸の玄関ランマとほぼ同一です。

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佐瀧別邸(1925)

この双鳥文のモチーフは、鎌倉・石窯ガーデンテラス、名古屋・撞木館、岐阜、千歳楼にその例が見いだせます。

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石窯ガーデンテラス(1922)

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撞木館(1925)

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 千歳楼(大正~昭和初期)

 もうひとつ、武間圭一編『近世ステンドグラス圖案集』大正10年 建築畫報社出版部 「PL・NO.19」の写真の内、

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左側の図は、九州大学医学A棟(1931)の玄関吹き抜けにあるステンドグラスと類似性があります。

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おそらくこれらのステンドグラスはこの写真をもとに作られたとおもわれますが、それでは、この図案は誰が描いたものでしょうか。

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