ステンドグラス

2022年10月 6日 (木)

旧須藤邸 ステンドグラス編

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桐生市の住宅街に2階建ての大きな白い外壁の洋館があります。かつて金善織物株式会社の事務所兼住宅として明治前期から後期にかけて建てられたとしています。その後大正10年頃、増改築工事をしたようです。そして、所有者が須藤氏に替わり、数年前まで住んでいたようで、手入れもまだ行き届いています。今の所有者になって、月1回の公開に踏み切ったそうです。
 さて、この洋館には、10カ所以上にもおよぶステンドグラスが存在しています。そのほとんどがサロンと称する吹き抜けの建物の窓、ランマに取り付けられています。この南側の建物は、パンフレットによると、明治前期の建物で大正時代に改造したとしています。
そのサロンの前に、玄関横にある鳥のパネル。鳥の腹部と木の幹はリップルを使っています。

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サロンに入る扉のランマに真ん中が大きく、左右に小さい花を配し、両脇には結霜硝子をいれているパネルがあります。赤の硝子はハンマードのようにも見えます。

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その横には梅に鶯の図柄の日本画のようなパネルがあります。木の幹にはリップルを使って古木の質感をだしています。

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サロン入り口のランマには、2連の細かい花束模様のパネルがありました。これはかなり細かいピースを使っていますが、全てケイムでつないでいるようです。

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応接間入り口のランマには真ん中に大きなつる花の模様、左右に小さな花が配置されたパネル。背景の硝子は細かな柄の型硝子を使っています。

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もう一つのランマは中心に青の硝子を配した抽象柄のパネル

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サロンの大きな引き違い窓には、藤に孔雀の図柄のパネルがあります。背景の硝子はリーミーを使い、藤は幹から花まで表現していて、木の幹から花、さらに孔雀もすべて銅箔によるいわゆるティファニー方式でつくられています。

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その横の少し幅のせまい上げ下げ窓には、チューリップが左右それぞれの窓に描かれています。

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玄関から東側の居室には、菖蒲だろうとおもわれる花のパネル。花、葉の部分はティファニー方式のようです。

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2階の階段室のファンライトにバラと2頭の蝶の図柄のパネルがあります。

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最後に玄関右横の引き違い戸に花の模様が2種類あります。どうもこれは新しそうです。

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その他、玄関と風呂場にステンドグラス枠の鏡が1つづつありました。

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ステンドグラスの主なものは、玄関の鳥と居室の菖蒲、2階階段室の花と蝶以外は、サロンのある建物に集中しています。図柄、技法などを見てみると、戦前のものとしてもいいのかなとおもいます。作者は、不明ですが、須藤家の歴史史料などが発見されれば、わかる可能性を秘めています。それにしても保存も大変すばらしく、よく維持できたなと感心するばかりです。

2022年5月 2日 (月)

橋本の香(旧三桝楼)のステンドグラス

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 八幡市の橋本遊郭の中にある建物です。最近、リノベーションして、旅館として営業しています。
見学をしてきました。この2軒となりには、多津美旅館があります。
まずは、2階の内部窓とランマにステンドグラスがあります。ガラスの種類は、色ガラスと無色の型ガラスで構成されています。
色ガラスは、型ガラスで色つきのもの、単なる色ガラス、乳白ガラスなど多彩な種類で作られています。また、無色の型ガラスも
数種類の型模様を使っています。
この建物の竣工が昭和10年頃(1935)ということなので、ひょっとして、ダイヤ、石目は国産の可能性はありますが、
その他のガラスは、色ガラスをふくめて、型ガラスは舶来ということになります。
かなり未見の型模様が見られました。
1階の出窓にも、同じようなデザインのステンドグラスがあります。これも2階と同様、さまざまな型模様のガラスをつかっています。
ここは、中庭に面しているのですが、型模様の凸凹は外部にはめています。
まずは2階から、

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2階客室窓

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2階ランマ

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1階出窓

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型模様

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美香茶楼(旧第二友栄楼)玄関

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2021年4月29日 (木)

旧石川組製糸西洋館ステンドグラス修復完了報告会

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 今日(25日)、最悪の想定通りの結果になりました。この報告会は、ステンドグラス修復実施者である(株)松本ステンドグラス製作所の松本一郎氏の報告会が主でした。
松本氏には、事前にこの修復についての疑問点を投げかけて、それに対して、丁寧な回答をいただいていたので、すべて、納得したわけではありませんが、松本氏の修復の具体的な方法は、よく承知できました。これは、当日その疑問をぶつけても、あまりにも複雑な事柄なので、その手間をはぶくためでした。
 さて、松本氏には答えられない発注者の意向は、当日でなければ聞くことができないので、手ぐすね引いて、質問の時間を今か今かと待っていると、冒頭、司会者が質問はなし。あとは個別にということで、ガッカリ。それで、会が終了した後、入間市博物館の発注者(館長さんだったか、副館長だったか不明)とおぼしき人に、質問を投げかけました。

自分:   この向かって左の2枚のパネルが何で入れ替わったのですか?これは、確かな証拠があって入れ替えたのですか?
発注者:  いや、証拠はありません。
自分:   では、これは修復のうえに現状変更までしたのですか?
発注者:  現状変更といえばそうですけど・・・
自分:   登録文化財の現状変更は、文化財保護法第六十四条に、“現状変更する場合は、三十日前までに文部科学省令で定めるところにより、文化庁長官にその旨届けなければならない。”と書いてあります。当然、文化庁に現状変更の届けをしたのですね。
発注者:  この建物は、建造物として、登録文化財に指定してあります。建物の現状変更は外観の四分の一までなら、変更が許されています。
自分:   このステンドグラスは、登録文化財ではないんですか?
発注者:  ステンドグラスは、登録文化財にはいっていません。
自分:   え!え!

自宅にもどって、もう一度文化財保護法を読み直してみると、登録文化財は、2004年の改正により、建造物だけではなく、美術工芸品も登録文化財に登録できるようになりました。

平成八年文部省令第二十九号 登録有形文化財に係る登録手続及び届出書等に関する規則
 第一条 文化財保護法第五十七条の文化財登録原簿には、次に掲げる事項を記載するものとする。
   六 登録有形文化財が建造物以外のものであるときは、その寸法、重量、材質その他の特徴

と、建造物以外でも登録できるのです。さらに問題なのは、朝日新聞文化財団から、助成金を受け取る際の、名称は
 “国登録・旧石川組製糸西洋館ステンドグラス(埼玉 入間市教育委員会)” として、2019年に選定した文化財保護活動への助成のリストに掲載されています。
https://www.asahizaidan.or.jp/grant/grant04_2019.html

そして、完了報告会のパンフレットには、【総事業費】 1,622,500円(うち助成金1,430,000円)と書かれています。
ということは、ステンドグラスも登録文化財であることは、申請者の入間市教育委員会が承知の上で申請書に記入したことになります。
さらに、文部省令第十四条には、法第六十四条第一項の規定による現状変更の届出は、次に掲げる事項を記載した書面をもって行うものとする。
  八 現状変更を必要とする理由
  九 現状変更の内容及び実施の方法
  十一 登録有形文化財が建造物以外のものである場合においては、現状変更のために所在の場所を変更するときは、変更後の所在の場所並びに現状変更の終了後復すべき所在の場所及びその時期

第十五条 前条の届出の書面には、次に掲げる書類、図面及び写真を青江なければならない。
  一 現状変更の設計仕様書及び設計図
  二 現状変更をしようとする箇所の写真及び見取図

発注者の言葉の端々から、つぎのことが推測できました。
まず、このステンドグラスは、建物に付随しているものだから、個別に登録するという発想がなかった。
しかし、助成金をうけとるには、登録文化財にしておけば、とおりやすいと考えた。ステンドグラスのパネルを入れ替えることは、現状変更にあたるという発想もなかった。なぜなら、登録文化財(建造物)は外観の四分の一まで、内装は現状変更にはあたらないことから、ステンドグラスの変更も、内装物だし、まして、外観の変更でもない、と考えたのでしょう。だから、言葉をにごしていますが、文化庁にコンタクトをとったという言動の形跡がありません。
建物に付随している内部の窓は、不動産ではなく、動産です。これは登録文化財の想定外で盲点だったのでしょう。しかし、2004年の改正で、建造物以外にも登録できるようになったので、これを有効に使えば、その矛盾は解消できたはずです。それをしなくて、あいまいにしたことが問題だったのです。
もう一度いいますが、助成金申請の名称には、“国登録文化財旧石川組西洋館ステンドグラス” と発注者自ら書いていたはずです。
だったら、速やかにステンドグラスを登録文化財に申請し、文化庁に現状変更の届出をすべきです。そうしないと法律違反の状態が続くことになります。

もうひとつ
自分:   この右端の花は”菊”ですか? あなた菊に見えますか?
発注者:   このステンドグラスは“四君子”を表しています。
自分:   だから、あなたは、これを菊だとおもいますか?
発注者:  ・・・・・・・・
自分:   菊はこんな花びらをつけるのですか?菊は赤い実をつけるの?この葉は菊の葉ですか?
自分:   大体、四君子というけれど、単に他の3つの花を参照しただけでしょ。どこが四君子なのですか?
発注者:   T先生(某有名大御所ステンドグラス研究家・今回の修復のアドバイザー)がそうおっしゃっていたので・・・・

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注: 四君子 について解説

望月大漢和辞典によると
>〔四君子〕唐畫で氣品を君子に見立てた四つの植物。蘭・菊・梅・竹

となっています。
さらに
夏井高人「四君子考」『明治大学教養論集』526 2017年9月30日 https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/19131/1/kyouyoronshu_526_5.pdf
この中で、東洋画の画題としての「四君子」という見出しで、「蘭、竹、梅、菊」の4種がどのような過程で「四君子」と呼ばれるようになったのか論じています。
そのまとめには
>“日本国における「四君子」の用例の典拠またはその起源は、必ずしも明確ではない。日本国には遅くとも安永年間頃までには画題として「蘭、竹、梅、菊」を重視する考え方が導入されたと推定される。しかし、それを「四君子」と総称する語の用法は、明治以降に確立された可能性が高い。

さらにネットで検索していると、四君子には根拠のある順序が存在するか というサイトを見つけました。 http://www9.plala.or.jp/majan/his47.html
それによると、麻雀牌に入っている花牌を見ると、「春夏秋冬」との対応が「蘭竹菊梅」の順になっているのだそうです。ところが、台湾では昔から”梅蘭菊竹”の順で呼称されているとのこと。先述の大漢和の用例で、『集雅譜』では”蘭菊梅竹四譜”とあり、『竹堂四君子畫譜』には”文房清供 獨取梅竹蘭菊四君者無也とある。
結論
>そこでつらつら考えるに(^ー^;昔の中国では梅蘭竹菊という4種の植物が重要なのであって、”春夏秋冬という季節を代表する植物”というわけではなかったと想われ、そこで好みによってさまざまな順番で呼称さていたが、語呂のよさで梅蘭竹菊が主流となった。やがて麻雀の花牌としてナンバリングが必要となったとき、もっとも人口に膾炙さていた”梅蘭竹菊”が採用された、と推測する次第。

これでおわかりになったでしょう。なぜ左の2枚の”蘭・梅”が左右入れ替わったのか、右端の花が”菊”でなければならなかったのか。このステンドグラスの画題はどうしても「四君子」にしたかったのです。だから、季節の移り変わりの順番にしたかったのです。しかし左半分の2枚を左右入れ替えても順番は 冬(梅)→春(蘭)→夏(竹)→秋(菊)となってしまいます。一応季節の移り変わりと合致します。しかし、どうして大方の日本人が発想する春夏秋冬として春(蘭)→夏(竹)→秋(菊)→冬(梅)にしなかったのでしょうか?そこまで、大胆にやる度胸がなかったのかもしれません。というよりも、四君子を表現するのに決まった順番などない、というのが史料を調査した結論です。
もし、四君子の花に明確な順番があるのなら、その根拠を示した上で、左右入れ替えるべきでしょう。それよりも、根拠なく平気でパネルを入れ替えるなんて考えられないことです。これは、製作者に対する冒涜です。

この四君子を題材にしたステンドグラスは、国内に3例あると、例の修復アドバイザーの大御所はここが売りなんだと強調しています。
ひとつは、鹿児島の岩元邸、ふたつめは、鎌倉の松本烝治邸です。そして、3例目がこの旧石川組西洋館のステンドグラスだというのです。
これを強調して、アドバイスされたら、このステンドグラスは四君子を題材とした物だと信ずるか、普通の役人なら忖度するしかないのでしょう。以前書いたハダカの王様の家来になったのでしょう。ちゃんとした博物館員なら、その根拠を問いただすとか、これが本当に菊なのか、ご自分の目を信じればわかるはずです。そして、その博物館員が書いたこのステンドグラスの、修復前の説明と、修復後の説明、そして、報告会のチラシの文章を見てみると、題材に関する説明が徐々に変わっているのがわかります。およそ理屈にあわない大きなご意向にそった変遷のように見えます。

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左から 修復前の説明  修復後の説明  報告会の説明

もうひとつの現状変更について

今回の報告会で、松本氏から報告された事実は

1 パネルを建具にはめ込む方法は、框をはずして組み込む方法だった。しかも二重枘を使ったかなりがっしりした建具だった。
2 蘭とお茶の花と実(これは菊ではありません)のパネルのガラスは他の2枚のパネルと違って、いわゆる裏面を使っていた。
3 各パネルには、縦に通して真鍮のH型ケイムを2本補強のため使用していた。

これが、修復時に知り得た主な技法です。
1 これらの事実から、断言はできないまでも、かなり明白に言えることは、4枚のパネルとも、製作時以後、建具からはずしたとは思えないこと。
建具そのものを交換したのならば、補修痕が残らなくなりますが、その前提がなければ、このパネルは製作時から変更はなかったと考えられます。

2 とすると、なぜ、2枚のパネルが裏だったのか、という疑問です。
松本氏は2つの推測をしています。
>①恐らく竣工当初にステンドグラスを引き渡した先の大工さんが、間違えて入れたのだろう。更に作者も納品後確認に行かなかったのか。
> →建具には押縁はなく、ほぞで組み込まれていたため、大工の組み込みと推測しました。

>②竣工当初は全て表を向いていた。後に改修が行われ、裏表が反転された。
> →一部、ほぞのクサビが欠損しており、ネジ留めされている箇所がありました。一度外された履歴と推測しました。

ガラスの裏と表はどう違うのか、ということを説明すると、非常に専門的な話になってしまうのですが、ステンドグラス用の特にオパールセントグラスの表面の凸凹が多いか少ないかという違いです。
ガラス面を斜めからみて、やっと違いがわかる程度です。凸凹の多い面が、見せる面となります。
それについて、松本氏は
>今まで戦前のステンドグラスで、パネル内で表裏ちぐはぐというのは、ほとんど見かけたことがないため、やはり(当初・補修に関わらず)設置時のミスと判断すべきです。
ということで、今回の修復時に2枚のパネルを反転した。と説明しています。

松本氏の経験にもとづいた正義感は、わかりますが、ミスはミス、それも作品なのです。製作時に作者が確認しなかったとしても、それが、いまでもそのままならば、それが作者の作品なのです。作者の意向もわからないで、修復者の正義感をだされても、それは、修復者として越権行為になります。

松本氏の2枚のパネルの反転について、いままでの職人としての、経験と実績は、十分にリスペクトに値しますが、これは、技術的な実績と経験のみの判断です。しかし、これを実行するにはもっと違う観点からの考察が必要です。いままで裏表ちぐはぐなステンドグラスはなかった、といっていますが、このステンドグラスこそ裏表ちぐはぐの最初の例だったのかもしれません。これは、経験だけで判断することではありません。本来は、発注元の博物館に文化財行政の熟知した人材がいればよかったのですが。

見た目では、左側の2枚のパネルの左右入れ替えと、2枚のパネルの反転をしたことで、この4枚のパネルの題材の位置が変わってしたために、改修前と改修後では、その構図がまるで別作品のようになってしまったのです。美術史的に絵画を見るとき、その構図に注目します。それぞれの花・木のパネルの中での、位置が4枚全体のパネルにどうバランスとしてマッチしているかを見るのです。
その観点からみると、この修復がどの方向を向いてなされたのかが理解できません。修復前の構図を破壊しているのです。
原点にもどると、今回の工事は修復工事です。復原工事ではありません。まして復原工事ならば、たとえば、下図、竣工時の写真、竣工時に書かれた文章など、証拠となる製作時の史料があって、それにもとづいて変更を行わなければなりません。ですから、この変更は、不確定な理屈で、復原工事でもなく、単なる修復と合わせた現状変更工事になってしまったのです。

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ここで、本題にもどります。左側の左右パネル入れ替えと右端の花を菊と強弁した現状変更を、もし、文化庁に報告があがったら、その他の2枚の裏表反転とともに、文化庁はどういう判断をくだすのでしょうか。まあ、同じ役人同士ですから、法律を上手に解釈して、なあなあに済ませるのか、にぎりつぶすのは目に見えています。しかし、修復前の状態と修復後の状態の違いは、確実に事実として残ります。そして、博物館の人は、修理工事報告書を必ず出します、と約束してくれました。さらに、これは公開しますとも。報告書の内容についても、事実をありのままに書くことを断言しました。まあ、都合の悪いことは書かない。いろいろ修辞をつくしてごまかすのは、あらかじめ予想しておいていいかともいますが、修復によって現状が変更されたことは、厳然たる事実で、この報告書がでれば、また追求がはじまります。

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修復前

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修復後

なぜこんなしつこいことをいうのかというと、今までの文化財修復で、修復における及第点が非常に少ないのが気がかりなのです。たとえば、文化財を修復するときに、修復前の状態の詳細を調査するのは当然ですが、修復時にだれが、どの部分をどのように入れ替えたのか、どのように補作したのか、などなど、そのひとつひとつに客観的な作業状況が記述されている報告書でなければなりません。その補修の際、その補修方法について、選択しなければならないことがあるでしょう。その時どちらを選択したのかも報告書に記述しなければなりません。このように、修復は文化財を文字通り修理する作業と、その経過を詳細にかつ客観的に記述する修理工事報告書があって、はじめて、修復工事が完了するのです。そういったことを丁寧に行っている修復工事は数える件数しかありません。ステンドグラスという、文化財とまだ認知されていない分野については、他の文化財に較べてまだまだ経験不足が否めません。もっと習熟度をあげていかなければならないと思うからです。
今回の、当該ステンドグラス修復工事で報告書が公開された以後、おそらく2~30年後に修復の機会があったとき、この修理工事報告書と実物をみて、後世の修復者が何でこんな修復をやったのか理解に苦しむようではいけません。客観的な資料を提供することこそが、今、文化財保護を担当する人の最低限の勤めだとおもいます。数十年後を見据えた修復をしていただきたいとおもいます。文化財行政のさらなる習熟をせつに希望いたします。そうでないと、戦前のステンドグラスの地位向上になりません。


参考文献
・文化財保護法
・登録文化財に係る登録手続及び届出書等に関する規則
・朽津信明「〔報告〕日本における近世以前の修理・修復の歴史について」『保存科学』51 東京文化財研究所 平成21年3月31日
・夏井高人「四君子考」『明治大学教養論集』526 平成29年9月30日

リンク
・旧石川組製糸西洋館 2012年6月9日 https://shunjudo.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-008c.html
・旧石川組製糸西洋館(改修後) 2021年3月18日 https://shunjudo.cocolog-nifty.com/blog/2021/03/post-815424.html

このブログに対して、反論・コメントを受け付けます。その際、公開か非公開かを明記してください。

2021年3月18日 (木)

旧石川組製糸西洋館(改修後)

 旧石川組製糸西洋館をはじめて訪れたのは、2012年6月でした。いままで見学会は行われていたようですが、2階に上がれる機会に見学を申し込みました。
その頃の西洋館は、入間市の所有になっていたとはいえ、まだ、改修もろくにされていない状態で、2階に上がるのにも人数制限をしていました。要は建物の強度上の問題があっったからでした。
その時、時間制限もあったりして、あわてて写真を撮っていたものですから、写真の設定が変わってしまったのに気がつかず、あとで、画像を再生すると、ずいぶんと失敗したり、肝心のステンドグラスがうまく写っていませんでした。

旧石川組製糸西洋館 https://shunjudo.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-008c.html

今回の訪問は、松本ステンドグラス製作所が、ステンドグラスの修復をしたことをSNSで見つけ、また、建物が修理されて公開がはじまったのを知り、出かけることとしました。
 建物の中に入るなり、さっそく2階の大広間に直行しました。以前見た時は、梅のモチーフのパネルの余白部分にヒビ割れがあって、パネルも少し孕んでいるようでした。

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[改修後]

修復後は、もちろん破損ガラスは入れ替えられていましたが、ガラスの種類の違いがわかるほど、新旧の差がはっきりとしていました。元のガラスと同じものを調達するのは大変困難であることは理解できます。それなりに近いガラスを探し出した努力は評価しますが、これが、現在の修復の限界かとおもいました。

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さらに、気がついたことは、4枚のパネルとも、横にそれぞれ2本ずつ、補強棒を入れたことです。以前のパネルには、補強棒は入れていませんでした。これは、パネルが室内にあって、保存状態がよかったことを考慮しても、自重によるゆがみがでてしまうのでいたしかたないのかもしれません。しかし、この縦長のパネルの補強は、横に補強棒を入れるよりも、縦に2本入れたほうが、補強棒によるゆがみの防止に役立つし、補強棒が目立たないのではないかとおもいました。一方、各パネルとも余白のガラスの面積が大きいため、そこの補強を考えると、横に補強棒を入れざるを得なかったのかもしれません。

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 自宅にもどって、以前に訪れた時の写真を見ると、2点その違いに気がつきました。

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[改修前]

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その1 修復前のパネルは、向かって左から、蘭、梅、竹、お茶の花と実 の配列になっていました。ところが、修復後は、向かって左から、梅、蘭、竹、お茶の花と実 になっていました。つまり、左の2枚のパネルが入れ替わっていたのです。
その2 左側の蘭と、右端のお茶の花と実のパネルが反転していたのです。
これは、一体どういうことでしょうか。修復したのですから、当然、何らかの根拠があって、現状を変更したはずです。説明板には、このパネルのモチーフは四君子を題材にしていると書かれています。四君子でいう 梅は冬、蘭は春、竹は夏、菊は秋 と中国絵画では見なされていて、このパネルでは、菊のかわりに当地のお茶の花と実を表現したと、されています。順番からいうと、冬春夏秋という順になります。四季の順番に合わせて、入れ替えたということなのでしょうか。それとも、この建物の創建当初の資料(写真など)があって、その当時の状態にもどしたというのなら納得できます。これは、その2の蘭とお茶の花と実のパネルの反転とも、関係することですが、現状を変更するには、それなりの根拠をもってすべきであって、あとで、説明できない変更はすべきではないとおもうのですが、しかも、これだけの現状変更をおこなったのであれば、修理工事報告書を作成し、その経緯を公開し、活字に残し、後世の修理時に役立てられるようにしなければなりません。この現状変更が正しかったとか、間違っていたかということは、問題ではないのです。現時点でどういう根拠で現状変更をしたのかを公開し、後世に伝えることが重要なのです。そうすれば、修復時に創作の余地を残さないことになるのです。それが、文化財の修理の基本理念であることを、しっかりと頭にいれてほしいのです。

4月25日に「ステンドグラス修復完了報告会」がおこなわれます。上記の疑問にすべてお答えしていただけるなら、申し込もうかなとおもっています。

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2021年2月14日 (日)

ルイス・C・ティファニーのステンドグラスから

 先日、伊豆城ヶ崎海岸にあるニューヨークランプ&ティファニーミュージアムへ行ってきました。ティファニーランプがおよそ60台、ステンドグラスパネルが11枚が展示されています。

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【ティファニー・ミュージアム入り口】

そのすべてにティファニー工房の刻印があります。その他にもランプやステンドグラスがありましたが、いわゆるティファニー風の作品のようです。日本国内では、島根県松江にルイス・C・ティファニー庭園美術館に数枚のステンドグラスがありましたが、美術館は平成19年(2007年)に閉鎖されてしまいました。その他には、北海道小樽の似鳥美術館の中にルイス・C・ティファニーステンドグラスギャラリーがあって、いくつかのステンドグラスがあるようです。
 今回、伊豆の美術館に展示されていたティファニー工房作と判明しているステンドグラスをすべてお見せいたします。そして、ティファニーのステンドグラス技法の一端でもお伝えできればとおもいます。

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【14オイスター・ベイの風景 朝日】
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【リップルグラス】
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【フラクチャーグラス】

 まず、カタログ番号「14オイスター・ベイの風景 朝日」から、このモチーフはほかにも「04オイスター・ベイの風景 夕陽」と「27オイスター・ベイの風景」があります。いずれも縦横の格子をいれた藤の花と湾の風景を表現しています。藤はティファニーが好んで表現する花のようです。これらのパネルでは、縦横の格子が窓の格子のように見え、また補強棒のようにも見えますが、藤の花が格子の前に現れているところなど、詳細に観察してみると、縦の線は暗黒の色ガラスを鉛線で挟んでいます。おそらく、補強棒は表からわからないように入れているとおもわれます。つまり、この格子は補強棒と思わせて実は違うという操作をしているようですが、一部には表からかなり太い補強棒をいれている部分もあります。じつにうまい技法を駆使しています。

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【04オイスター・ベイの風景 夕陽】

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【補強棒】 

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【27オイスター・ベイの風景】
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【リングモトルグラス】

14のパネルでは、リップルガラス(Ripple glass)やフラクチャーストリーマーガラス(Fracture-Streamer glass)がつかわれています。
27のパネルではリングモトルグラス(Ring mottle glass)が使われています。

藤でいえば、「02藤のある風景」と「08藤とスノーボール」があります。両者ともモットルグラス(Mottle glass)が使われています。

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【02藤のある風景】

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【モトルグラス】

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【08藤とスノーボール】
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【二重】

「20蓮とアイリス」は水辺に浮かぶ睡蓮とアイリスを描き、森の風景を表しています。森の木々にはリングモトルグラス(Ring mottle glass)を多用しています。
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【20蓮とアイリス】
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【リングモトルグラス】

「34滝つぼの風景」も滝の周りの緑の葉にリングモトルグラス(Ring mottle glass)がつかわれています。
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【34滝つぼの風景】
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【リングモトルグラス】

「38風景の窓」は縁をつけ、窓からの景色のようにみせていますが、大きな木のうしろに靄がかかって、遠くの木々や山がかすんでいます。これは、薄い白がはいったストリーキーグラス(Streaky glass)を木々や遠くの山の風景に重ねて、かすんだ風景を表現しています。
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【38風景の窓】
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【ストリーキーグラス 二重】
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【二重】

「43オレンジ色の花と百合」では、タチアオイに似たオレンジ色の花と百合の花を表していますが、背景には青や黄の色ガラスを配したうえで、草を表しています。
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【43オレンジ色の花と百合】
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【二重】


宗教画が2点あります。1点は「39戸を叩くキリスト」です。これは、顔、手は絵付けされていて、上部の木の葉にはフラクチャーグラス(Fracture glass)が使われています。
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【39戸を叩くキリスト】
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【フラクチャーグラス】


もうひとつ「41天使 キャロライン・スコットを偲んで」も顔と手足は絵付けし、衣装には一部ドレープリグラス(Drapry glass)が使われいて、衣の皺の立体感をだしています。
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【41キャロライン・スコットを偲んで】
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【ドレイプリーグラス】

このように、テファニーは、彼のイメージにあったステンドグラス製作のために様々な色板ガラスを製作しているのです。一例をあげれば、

  • オパールセントグラス(Opalescent glass)、数種類の色ガラスを混ぜた不透明な板ガラス。
  • ファブリルグラス(Favrile glass)、一種の光彩を放つ玉虫色のガラス。1894年に特許を取得した。
  • ストリーキーグラス(Streaky glass)、縞模様のあるガラス。
  • ドレープリグラス(Drapery glass)、ひだのある折れ重なった布のようなガラス。
  • ストリーマーグラス(Streamer glass)、糸のような細い模様が表面についたガラス。
  • フラクチャーグラス(Fracture glass)、表面に不規則な形の薄いガラスウエハーの模様が入ったガラス。
  • フラクチャー・ストリーマーグラス(Fracture-Streamer glass)、フラクチャーガラスとストリーマーガラスの両方の模様の入ったガラス。
  • モトルグラス(Mottle glass)、斑点のはいったガラス。
  • リングモトルグラス(Ring mottle glass)、環状斑点のはいったガラス。
  • リップルグラス(Ripple glass)、表面に波紋のあるガラス。
  • コンフェッティグラス(Confetti glass),ブルザイで発売しているガラス名。フラクテャーグラスと同じか。

この11枚のステンドグラスは、オイスター・ベイの風景のパネルで1.4m×1.5m程度のおおきさです。当然、補強棒を入れないとゆがみがでます。しかし、ティファニーはそれを実にうまく気づかれないように処理しています。これは、窓枠にはめ込んでもあくまでも絵画としてのステンドグラスという発想なのでしょう。
まだ詳細に1枚1枚パネルを見ていませんが、片面だけでは、どういうガラスの使い方をしているのかが、解明できませんが、ざっと見回してみると、ガラスを至るところで二重に重ねているのがわかります。また、銅箔を巻いてハンダ付けしているところも数多くみられます。非常に細かなピースをつなぎ合わせ、実に繊細な作業をこなして、奥行きのある絵画表現を実現しているとおもいます。

小川三知は、ほぼ同時代にアメリカに滞在していたので、このようなティファニーの作品を至る所で見たとおもわれます。三知の作品を見ると、宮越邸の丸窓で、ガラスを二重に重ねる技法を使いましたが、これは、明らかにティファニーの表現方法を取り入れています。また、アジサイ・モクレン・ハゼの障子はすべて銅箔を巻くという、これもティファニーの考案した技法を試しているのがわかります。しかし、小川三知は、日本画を学んでいますので、余白のない丸窓では、ティファニーに忠実であっても、格子で区切られたちいさな板をはめ込むという建具では、余白をとりいれるという方法を採用したのでしょう。しかも、ティファニーの「オイスター・ベイの風景」で使われている格子は、藤の花がからんでいるのを見ると、いわゆる窓からすこし離れたところに設置されているようにみえます。それにくらべて、アジサイ・モクレン・ハゼの障子は、木製建具の格子の外にそれらの花木が植わっているようにみえます。見学者にとっては、格子の障子はもともとすべてに透明のガラスがはまっていて、その障子の外に花木があるように錯覚してしまうのです。借景は、外の景色を内と外を隔てるパネルに取り込むことであり、これは、借景とは、全く逆の感覚を作り出しています。

三知のステンドグラスは、アメリカの新しい技術を積極的に取り入れていますが、ティファニーはその財力をつかって、数多くの種類の板ガラスをつくってそれを使用しています。三知は、ティファニーに較べると、採用する板ガラスは格段に少ない種類で製作しています。また、ガラスを二重にする技術は、鳩山邸の五重塔の組物で試してはみたものの、それ以降積極的には使わなかったようです。このように、三知は、技術をティファニーに学びながら、日本では、取捨選択をして独自の表現を模索していったのだろうとおもわれます。

2020年12月14日 (月)

宮越邸ステンドグラス異聞補遺

 もう少し、ハゼノキとケヤキの違いについて、調べた結果をご報告します。N君より、谷中の天王寺の前にハゼノキがあるよ とご教示いただきまして、いつも通勤の道ながら、改めてみてきました。ここのハゼノキは、まだ葉すべて落ちていなかったので、葉の形状がよくわかりました。たしかに、奇数羽状複葉で対生です。上野公園には、ケヤキが多く生えているので、葉の形状がまだ残っている木をさがしました。これも植物図鑑のとおり、単葉、不分裂葉、互生であることが確認できました。

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下はハゼノキの葉

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下はケヤキの葉

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 そういえば、今年の春、寛永寺根本中堂の隣の民家の塀ごしに、白い花が咲いていたのをおもいだしました。ひょっとして、ハクモクレンだったのではと思い、撮りためた画像をさがすと、たしかにこれは樹木図鑑にあるハクモクレンでした。現在は、葉がまだ残っているものの、花の芽はもう上を向いて固くむすんでいました。これから、葉が落ちて、暖かくなると、白い大きな花をさかせるのでしょう。

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ハクモクレンの今

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2020年12月12日 (土)

宮越邸ステンドグラス異聞

鑑賞記に書いたこと以外で、気になることが2,3点あったので、もう一度調べることにしました。まず、涼み座敷の間の窓に表現されていたアジサイ・モクレン・ハゼノキについてです。
この花木について、小川三知は、何の花木を表現しようとしていたのか、調べてみると、アジサイは、なんの疑問もなくアジサイですが、真ん中の花木を私がモクレンと断定したことについて、もう少し説明をします。

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田辺氏は、その著書になかで、「辛夷(コブシ)(別名ヤマアララギ)」と書いています。以前のブログの注で、“コブシは上向きや横向きに花を咲かせ、モクレンは上向のみ花を咲かせる”と書きました。樹木図鑑をみれば、コブシとモクレンの違いが書かれています。それには、コブシは花弁が6枚、開花と同時に葉が芽吹く。モクレンは花弁が9枚、開花時には葉はつかない。その特徴からステンドグラスをみれば、どちらかは明白なのですが、さらに決定的なのは、小川三知がこれを「木蓮」と宮越正治宛の手紙の中で書いていることです。

小川三知書簡(昭和3年2月6日)解読/田辺千代氏 中泊町博物館展示

 小生一昨年或る芝居好きの人の依頼で、其の洋館応接間窓に、錦絵の和藤内をステンドグラスにして用いたるを作り候らば、洋館とはいいながら、室内は寧に日本風八分に御座候。
是は最近の小生の苦心の作にて、御■■間写真を小包にて御届候らば、何卆御納迄候。恐れながら御感想を御聞かせ下され候。
右写真は、縦横ランマ共々役七尺従り六尺餘と覚え居り候。ランマの浄瑠璃文の和藤内虎に出逢ふ処だけ聴き書きして、朱に描付けたるを、勘亭流の先生に本式に書て貰へたのを焼付御座候。先日頂戴致し木蓮装飾室内写真二種、やがてアルス誌へ講座のさし画として送候。

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しかも、この書簡を解読したのは田辺千代氏本人です。その記憶がうすれたのか、書簡の文面をちゃんと理解していなかったのかはわかりませんが、決定的証拠です。この書簡のなかには、和藤内のステンドグラスについて書いている部分があります。これは、現在歌舞伎座の4階ロビーに展示されているものです。田辺氏によると、もと村井五郎氏の依頼によって小川三知が製作したものだそうです。第Ⅲ期歌舞伎座にも小川三知のステンドグラスがあったそうです。

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この中で、「アルス誌へ講座のさし画として送る」という文言がありますが、これは『アルス建築大講座』第5巻に小川三知の論文「モザイック及スティンドグラス」の中の3枚ある口絵のうち最初に掲載されている写真のことです。キャプションには、“青森縣内舘村・宮越正治氏邸の書斎の窓” とあります。

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次に、窓右側にある半分紅葉した木について、田辺氏は「欅」としていますが、どうもその葉の形状、葉の付き方を見ると、樹木図鑑で見るケヤキとは何か違うように見えたのです。

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調べてみると、どうも「ハゼノキ」らしいことがわかりました。それで、原物をみるべく、上野公園にあるケヤキ(名札がある)の落ち葉を拾ってきました。さらに、ハゼノキが旧古河庭園にあるというので、出かけてみました。もう葉はすべて落ちてしまっていましたが、そこの庭師さんの計らいで、落ち葉をゲットできました。庭師さんにハゼノキの葉について聞いてみると、ハゼノキの葉の付き方は”対生”という付き方で一本の枝の同じ場所から左右に葉を付ける形状で、ハゼノキの葉の付き方は”奇数羽状複葉”というんだそうです。ちなみに、ケヤキは単葉でハゼノキのような葉の付き方はしないということです。さらに細かくみると、ケヤキは、葉の周囲にギザギザがあるのが特徴です。ステンドグラスは、それほど詳細に表現できるものでもないことは理解できますが、葉の付き方、葉の形状は、ケヤキよりも、よりハゼノキに近いと見るべきだと思います。

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ハゼノキの葉(奇数羽状複葉)

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ケヤキの葉(単葉)

最後に浴室で表現されている、 “川柳にカワセミ” といわれるモチーフについてです。カワヤナギを樹木図鑑で調べてみると、カワヤナギは枝が垂れ下がらない柳のようです。枝が垂れ下がるのは一般的にみられる、“シダレヤナギ” です。両方とも、ヤナギ科ヤナギ属ですが、枝の生え方は全く違います。どうも、カワヤナギという言葉がどこかで、使われていたために、裏付けもなくそういう名付けをしたのでしょうか。

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 いちいち草木の名前にこだわることはない、という人もいますが、作者が何をモチーフに選んだのかは、大変重要なことです。もちろん、ステンドグラスという、微細な表現がむずかしい素材媒体では、多少の抽象化はあるかもしれません。しかし、周囲の状況で、作者の意図を忖度してしまうと本当の作者の思いが受け止められなくなってしまいます。もうすこし、エビデンスに基づいた解説が必要ではないでしょうか。

2020年11月14日 (土)

宮越邸ステンドグラス鑑賞記

 前日、五所川原に泊まり、朝一番の予約で、宮越邸に乗り込んだため、その時間の参加者は私ひとりだった。まず、涼み座敷の間の引き戸は予想と違わず、写真通りだった。

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しかし、坐って眺めると、以前から気になっていたことが頭をよぎった。それは、写真から感じた第一印象では、格子状の窓ガラスはすべて透明でそれを通してアジサイ・モクレン(注1)・ハゼノキ(注2)が、窓のすぐ外にあるように見えたのである。それほど、外部の庭木とアジサイ・モクレン・ハゼノキが同じ空間にあるかのようだった。いはゆる借景とは外の景色を、パネルに取り入れて、ひとつの絵に仕上げることだが、ここのステンドグラスの花木は、外の景色に同化してしまったのである。これは、借景という技法を超えた画期的な表現方法といえるだろう。こんな錯覚を覚えさせる技法とはいったい何だろうと考えざるを得なかった。

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まずその手法のひとつは、鉛線(ケイム)を使わず、銅箔によるハンダ付け方法を用いたことが大きな要素となっている。ケイムによる接合方法は、ケイムの線がなめらかな曲線を描き、またそのケイムの幅も一定にならざるを得ない。銅箔によるハンダ付けは、その線の太さをを微妙に変えることができ、さらにケイムよりもより細くガラスとガラスを接合できる。そのために、一般的なケイムを使ったステンドグラスに較べて、花・木の輪郭が、あまり目立たなく、単なる日本画で用いる輪郭線のようにしか見えないように工夫されている。また、銅箔によるハンダ付けをパネルに用いるには、強度的にパネルの大きさが影響してくる。これは格子の中の大きさおよそ19㎝×13㎝のひとつひとつににパネルを嵌め、パテを三角状につけることによって固定されている。パネル単体は、初心者が作るちょっとした小物程度の大きさである。そのため、ハンダ付けによる強度不足をあまり考慮しなくてすむ。内部から見ると、ハンダ付けの線が黒くしかみえないので、それも輪郭線を目立たせない要素かもしれない。外から見れば、三知のハンダ付けの技量の高さを見ることができ、じつに繊細な仕事をしているのがわかる。余白の透明ガラスは、おそらく色ガラスの厚さに合わせて、3mm厚のガラスを使っているかもしれない。当時は、透明ガラスは一般的には2mm厚のガラスを使うのが普通だが、ハンダに段差ができないような工夫かもしれない。

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 つぎに浴室の窓に目を向けよう。このパネルは、外部から中を見られないように、型ガラスを余白に用いている。その型も凹凸がなめらかな型模様をつかっているので、よく見ないと単なる白いガラスのようにみえてしまう。カギ型に二面になっていて、大きい面は引き違い戸でモチーフはシダレヤナギ(注3)にカワセミ、小さな面はアヤメではめ殺しとなっている。ヤナギは木の幹は、ケイムをつかって、その他の枝、葉は銅箔によるハンダ付けでおこなっている。カワセミとアヤメはケイムをもちいている。ケイムを用いたカワセミとアヤメは、涼み座敷の間のモクレンのような細い輪郭線が出ていないので、線の重さを感じざるを得ない。これは、涼み座敷の間と違って、パネル1枚の大きさが大きい為に強度を考慮したおもわれる。

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最後に、十三湖の風景を表現したとおもわれる円窓である。このパネルは、ガラスを二重に重ねる技法をいたるところにほどこしている。まず2本の松の幹部分は、輪郭はケイムを用い、松の木の皮模様を銅箔によるハンダ付けでおこない、内側は茶色のオパールセントグラスで、木の幹の色を表現しているが、外側は、白あるいは靑を基調としたオパールセントグラスを重ねている。それによって、松の木の幹の質感が多少明るくなっているようにみえる。また、水面は、空と同じ白と水色のオパールセントグラスを内側に施し、外側には透明に近いハンマードグラスを重ねて、水面の波立ちを表現している。また、水面も上下で、外側のガラスの型模様を変えている。さらに帆掛け船の帆は、内側は一枚の白で、外側は透明板を分割して配置し、縦の線を表している。水面の上の山々は、内側には茶系のオパールセントグラスを用いているが、外側は緑系の型模様のガラスをを濃淡をつけて重ねている。このように、この円窓のおよそ下半分、松の幹部分は、二重にガラスを重ねていることがわかる。そのためか、二本の四角形の補強棒は、内側に配置している。普通は室外面に補強棒を付けるものだが、外側は、ガラスを二重にしたため、段差ができて、補強棒が密着できなかった為だろうとおもわれる。しかし、それと同時に、外側の廊下側からでも、見られることを意識したものと思われる。しかし、廊下側からみる松の木の幹は白っぽく、背景の山もくすんだ緑にしか見えないので、表と裏では、ずいぶんと印象が変わってしまうのは、どう解釈したらいいのだろうか。もうひとつわからないのは、外側の松の木の幹の輪郭、松の木にかかる葉の一部に鉛のプレートで盛り上げていることである。これがどういう意図なのか、よくわからない。

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 これらの、3カ所のステンドグラスは、小川三知のステンドグラス技法を、余すことなく発揮した作品のようである。ケイムを全く用いないで、銅箔によるハンダ付けで、パネルをつくること、また、ガラスを二重に重ねることによって、新しい色や、表面のテクスチャーを生み出そうとしたこと、など今のステンドグラスでもなしえない技法をその卓越した技術力で行えたのは、三知の技量だけではない芸術的センスと創造力があったからこそであることを、このステンドグラス群は証明している。

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ついでではあるが、宮越邸の建物に嵌まっている、透明の窓ガラスについて見てみると、涼み座敷の間のステンドグラスの余白部分の透明ガラスは、三知が調達した、舶来のガラスのようである。日本では、やっと生産されたばかりのコルバーン法による板硝子とおもわれる。それは、平行に波打っていることからわかる。一方廊下の窓ガラスは、一部不規則なゆがみがあり、大正時代ということを考えれば、国産の機械吹き円筒法による板硝子とおもわれる。

注1: この木をコブシと表現している文章があるが、コブシは花の咲き方が上向きや横向きなど様々で、さらに花弁がモクレンと較べて細長い。ハクモクレンは、常に上向きに花が咲き、肉厚の花びらになることから、ハクモクレンとおもわれる。


注2: この木をケヤキと見る文章があるが、葉の形狀から、ハゼノキにより近い形狀をしている。ハゼノキは、一本の枝から左右に葉がでるが、ケヤキはそのような葉にはならない。


注3: これをカワヤナギと表現しているのが多いが、細い葉の形狀はカワヤナギに似ているが、カワヤナギは枝が垂れ下がらない。垂れ下がるのシダレヤナギである。

2017年10月 9日 (月)

旧一萬田尚登邸

 一萬田尚登(いちまたひさと)は、戦後すぐの1946年から1954年にかけて日銀の総裁を務め、1954年から1958年まで大蔵大臣をつとめた、戦後金融界に君臨した人物です。

その一萬田氏の自宅は、港区青山にあって、おそらく昭和初期に建てられたもののようです。その建物が1965年から1975年頃道路拡張の対象となり、東海銀行が買い取り、保養施設として、箱根強羅の現在地に移築しました。

その後、幾人かの所有を経て、2011年、現在の所有者になり、改修し、美術館として公開して現在に至っているとのことです。

現在の所有者の箱根マイセンアンティーク美術館は、2000年に仙石原に開館し、強羅に移ってきました。その時、美術館として、改修をしたと思われます。

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玄関に入ると、玄関の横に丸窓があります。抽象柄ですが、モダンなデザインです。

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玄関ホールには、2ヵ所の窓にステンドグラスがありました。鉛線を巧みにつかったデザインです。

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サンルームには、4枚のステンドグラスがありますが、真ん中には鳥の絵付けをした絵があり、オパールセントグラスを使わないで、普通の色ガラスを周囲に配置しています。これは、おそらくヨーロッパあたりで作られたもののようです。

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この建物の窓ガラスは、その他にも、斜め格子状のステンドグラスや、窓ガラスの周囲にのみ色ガラスを使った窓がありますが、展示室のため、内部から写真は撮れませんでした。

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今は、間取りをいかして展示室として改修されているので、どの程度変更されているのかは、詳細にはわかりませんが、ステンドグラスは、当初のようにも思われます。ということは、戦前の作品かもしれません。

2017年4月 9日 (日)

鎌倉近代建築の旅

 昨日(4月8日)に鎌倉に行ってきました。あいにく一日中雨の中、歩き回りました。

まずは、浄妙寺の境内の奥にある、石窯ガーデンテラスへ。ここは、浄妙寺の谷戸の奥の山の中腹にある、洋館をレストランにした大正11年(1922)の旧犬塚邸です。

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内部は、改装されていますが、外観はよく残されているようでした。ここには、2ヵ所のステンドグラスがあります。

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このステンドグラスのデザインは、名古屋の撞木館にあるステンドグラスとよく似ています。もう一つは、階段室にあるパネルです。

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この建物の設計は、ドイツ人だそうですが、ステンドグラスは日本製でしょう。

すぐ近くの華頂宮邸が春の公開日なので、また見にいきました。

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ここのステンドグラスは、シンプルなデザインのものばかりで、あまり特徴がありません。

もうひとつこの土日に公開している、大佛次郎茶亭へ。

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大正8年(1919)の建物ですが、ガラス戸は改装されていて、ガラスは見るべきものがありませんでした。

つぎに最近新築した川喜多映画記念館の建物の奥に、旧川喜多邸別邸があります。この建物は、江戸後期の民家を練馬で和辻哲郎が居宅として使っていたのを、鎌倉に移築したものだそうです。土間があって、江戸の農家の雰囲気が残っていました。

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鎌倉駅のすぐ近くに、古我邸がありました。駅からこんな近くの広大な敷地に洋館が建っていました。現在はフランス料理のレストランとして、使われています。大正5年(1916)荘清次郎の別邸として建てられた洋館です。結婚式開催中で、中にはいれませんでした。

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長谷の方を歩いて行くと、 吉屋信子記念館があります。この建物は戦後の昭和37年(1962)に建てられていますが、設計が吉田五十八で、シンプルな作りになっていました。

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そして、このすぐ近くに 鎌倉文学館があります。旧前田利為邸です。昭和11年(1936)竣工の建物です。

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内部からのステンドグラスの撮影ができませんが、2ヵ所の丸窓を除いて、シンプルなデザインのステンドグラスをランマに使用しています。その2ヵ所の丸窓も、なぜか、あまりオパールセントグラスを使っていません。流し模様のある、透明な硝子を使っています。この時代になると、ステンドグラスのデザインの流行も少しづつ変化してきたのでしょうか。

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もうひとつ、旧諸戸邸がこの近くにありました。今は、長谷こども会館として使われていますが、内部は非公開です。あの、桑名の森林王諸戸清六が大正10年(1921)に買った建物です。創建は明治41年(1908)だそうです。

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建築ばかりでは、何か物足りないので、長谷寺へ、リニューアルした旧長谷寺宝物館に入館。現在では、觀音ミュージアムと言うそうです。観音三十三応現神像がガラスケースからよく見えるようになりました。仏像の着衣にちょっと示唆をあたえるような仏像です。

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今回のメインは、石窯ガーデンテラスのステンドグラスでした。その他の戦前の住宅は、窓ガラスにに見るべきものがありませんでした。それにしても、雨なのに、シーズンなので、人はどこもいっぱいでした。

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